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「慰安婦問題」決着で気になること
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・有光弘和

年末ぎりぎりに、日韓で最大の懸案だった「従軍慰安婦問題」が政治決着した。この問題は政治問題であるとともに、女性問題でもある。もしも、日本大使館前に建てられた女性像に対して「あれは、日本の兵士を慕って待ち続ける乙女の姿です」とでも説明しようものなら、非難の声がどこから、どれほど飛んでくるかわからない。女性問題は広く「差別」の問題でもあるから、発言者の心情や立場が厳しく問われることになる。「像」だけを見て、その印象を勝手に述べることは「不穏当発言」で、許されない。「なぜ裸足で、肩に鳥がとまっているのか」。解釈は、設置した人たちの胸のうちにしかない。

膨れ上がった「連行」される人数

ウェブ百科事典Wikipedia によると、朝鮮人慰安婦問題を言い始めた故吉田清治には、『朝鮮人慰安婦と日本人』(人物往来社、1977) と『私の戦争犯罪』(三一書房、1983) の二つの著書がある。そして、朝日新聞の最初の報道は1982年9月の吉田の講演を記事にしたものだ。“講演記録”とも言えるこの記事は、大阪版では大きく掲載されたものの、東京版には一行も報道されなかった。それが全国ニュースとして踊りだすのは9年後の1991年で、翌年はNYタイムス、赤旗を含む各新聞社の報道合戦の様相となった。その間に、連行された朝鮮人の数は済州島での200人から「多くて3000人」、「男女6000人」に膨れ上がった。

戦後70年の今になれば、“生き証人”は少ない。日本国内をはじめ北は満州、南はニューギニアに広がった日本陸軍の「慰安所」の1カ所平均の「慰安婦」数は約10人、数百カ所あったとすれば数千人という計算は可能だ。しかし、その場合、一番多かったのは日本人。次いで現地人。朝鮮人、台湾人、フィリピン人がそれに次ぐと想定されている。

エリート「挺身隊」を「慰安婦」と混同

韓国人だけが多いわけではないのに、なぜ問題化したか。カギの一つは「挺身隊」という言葉にある。“総力戦”となった第二次大戦の最中、各国は女子労働力に注目し、米英では女性を軍人にした。王室のエリザベスは地方の義勇軍に予備入隊した。日本は学徒動員で男子学生を軍人にするとともに「挺身隊」として軍需工場の労働者にした。女子学生も「女子挺身隊」にすることになり、最初に出来たのは皇族にゆかりのある学習院女子同窓生による「常磐会勤労挺身隊」。山脇高女同窓会のレンズ工場への入社が女子挺身隊の派遣第一号とされている。女性は軍人にはならなかったが、動員された。日本統治下にあった朝鮮でも事情は類似だが、女子「挺身隊」結成は遅れた。「農業挺身隊」「漁業挺身隊」などの時期を経て、政府主導で日本本土の紡績、ベアリング、戦闘機の工場へ「挺身隊」として派遣される女学生もいて、後に「慰安婦」と偽って証人として名乗りを挙げた人もいる。進学率の低かった時代、日本でも台湾でも朝鮮でも、未婚の女子学生たちは「エリート階層」の人だったと言っていいだろう。朝鮮半島では当時、「挺身隊に入ると、売春をさせられる」という流言があったという。

「北」をめぐる政治問題と在韓米軍

もう一つのカギは朝鮮戦争だ。在韓米軍の“慰安所”は「基地村」という形で運営され、2万人の女性がいたと推定されている。性病が発生すると、米兵には相手の女性を特定できない場合が多く、鉄格子のある「モンキーハウス」と呼ばれた施設に「村」の多数が一斉に強制収容され、抗生物質が投与され続けたという。これらは商業行為として行われた「売春」の枠内に当てはまるかどうか。当時、慰安婦は「愛国者」と言われることもあり、軍のために強制的に“労働”するという意味から「挺身隊」と混同されやすい環境だったと言える。

そして、1991年、朝日新聞の誤報が登場する。9年前の吉田発言類似の記事に続いて、「女子挺身隊」の名で連行されたとする「元慰安婦」の証言を“スクープ”した。政治的には金丸訪朝団が日本と北朝鮮との国交回復を模索し、「よど号」ハイジャック事件、さらに今も尾を引く北朝鮮による拉致問題にマスコミが注目し始めた時期である。インタビューのお膳立てをしたのは、韓国挺身隊問題対策協議会(略称:挺対協)で、その女性幹部の娘が朝日の特派員の妻であることは今ではよく知られている。北朝鮮寄りの団体と言われる挺対協は「挺身隊」の問題でなく、「慰安婦」問題で裁判を起こしたが、この時から両者を混同することが20数年間、国際的“常識”となった。アメリカの歴史教科書で「性奴隷20万人」と書かれたという事態は、この混同があってこそ理解できる。朝鮮戦争に派兵された人の多いアメリカでなら「さもありなん」と常識化しやすいに違いない。

幅広い「差別」問題

今回の日韓の政治合意で、岸田外相は「安倍総理は、慰安婦としてあまた苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に心からお詫びと反省の気持ちを表明する」と語った。元慰安婦を支援するために韓国が設立する財団に10億円を拠出する。今、韓国で「元慰安婦」と確認できるのは50人を下回ったと言われる。割算すると1人当たり約2000万円。この金額では、北朝鮮、日本、台湾、フィリピン等に広がる「全て」を対象にすることはできまい。また、新たに名乗り出る人もほとんどないと推測できる。

なぜ、吉田清治は二冊もの本を書き、出版できたのか。以下は仮説・推論である。敗戦直後、日本には「カストリ雑誌」、「エログロ雑誌」と呼ばれた雑誌が多く書店の店頭を飾った。風俗文献雑誌『奇譚クラブ』もその一つと言えるが、掲載された代表的作品『家畜人ヤプー』の作者、沼正三は覆面作家として、永く名乗り出ることはなかった。作者の執筆動機は、学徒兵として外地にいて、「捕虜生活中、ある運命から白人女性に対して被虐的性感を抱くことを強制され、(中略)性的異常者として復員」した体験に基づく。これは女性兵士による「強制」と推察されるが、吉田は男性兵士の「集団的強制」を小説に描こうとしたと思える。沼の寄稿した出版社は「小説」として扱ったが、吉田の寄稿は「実話」を売り物にする出版社だった。そして、1970年代に入って、これらの作品が単行本として、出版、再版される、ちょっとしたブームがあった

記事になった吉田清治の講演会会場が「大阪市浪速区 浪速解放会館」だったことも象徴的に思える。日本人の「元慰安婦」を徹底的に探そうとすれば、日本国内では旧赤線地域、貧農の多い地域、同和地区、“在日”の居住者地区などに重点が置かれよう。女性差別に限らない、広い「差別」の問題を避けては通れない。そして、彼女たちは“歴史の闇”に消えていくのが幸せなのかもしれない。

(有光 弘和)

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