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‘まちづくり’ カテゴリーのアーカイブ

広島土砂災害
ネコがひっかいたような谷筋の爪痕

2014 年 9 月 2 日 火曜日

土石流のあった山々では81の谷筋で土石流、37箇所で崖崩れが発生した(27日時点)。山は傷だらけ。伊勢湾台風で土砂災害を受けた木津川上流域の山々について語ってくれた老人らが、「ネコがひっかいた跡のよう」と言っていたのと同じ光景だ。

 

被害が大きかった八木3丁目(県営住宅)への道は極めて急な坂道だ。ちょっと雨が降っただけでも車がスリップしそう。その急な坂道が長く続き、住宅が広がる。高いから見晴らしは抜群だ。

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八木8丁目

坂道は車が相互通行できる道幅はなんとかあるものの、交差する横軸の道は1台しか通れない。土砂撤去のダンプカーを裁くために交通整理していた。もちろん、ほかの車が入り込む余地はない。

 

のぼっていくと(歩くという表現ではない)、調査を終えて帰るTec-Forceと出くわした。

「山が動いている」という住民からの通報を受けて、現地確認に来たが、幸い変状はなかった。
土砂の変動は油断できないため、いまも専門家Tec-Forceが中国地整局に常駐している。

住民が彼らを呼び止め、土砂撤去や独居老人の住宅撤去について質問。Tec-Force隊員は丁寧に応えていた。「土木研究所」と書かれた制服を着ていても、住民にしてみれば“土砂撤去などなんでもやってくれる”国土交通省の職員だ。

Tec-Forceは経験者が求められる所以だ。

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土木学会100周年
失ったものへの反省と、土木の品格、誇りはどこに?

2013 年 7 月 15 日 月曜日

世界最大の学会と言われる土木学会。
2000年「土木の日イベント」の業務のあと、非会員ながら市民幹事に任命され、T山先生の誘いでFCC委員にもなった。
その後、京大土木100周年事業のひとつ、人物誌をテーマにしたシンポジウムを手伝うことになり、”入ってたら便利やで”と勧められて会員になった。

そして今年、100周年に実施する全国大会の広報委員になった。これもT山先生の誘いだ。

1回目の委員会の後、100周年記念サイトを閲覧。
ひぇ~、100周年のテーマに驚いた。

「豊かな暮らしの礎をこれまでも、これからも」

なんでんねん、これ!?
ながらく「この国のかたち」を議論せず、対処的な対応に終始してきた土木人としての反省、公共投資がマスコミ攻撃の的になったのに布団を被って寝ていた反省がまったく欠落している。
かつ、土木(築土構木)は「民を安んじる」ための仕事であるという誇りも、品格もない。
意気込みも感じられない。

と、F井先生に愚痴メールしたら「最悪!」と強い同意をもらった。

百歩譲って、一般市民にわかりやすくという狙いとしたところで、コピーとしてもNGだ。(わかりやすいことと品格や意気込みがあることは、まったく別ものだ)

よっしゃ、
全国大会のテーマは、腑抜けな100周年を補うべく、崇高なテーマを提案したろ!・・・と、思っています。=*^-^*=

出社拒否する首長

2013 年 2 月 18 日 月曜日

私事で恐縮だが、平成18年3月に大阪市民をやめて、奈良県王寺町民になった。

たまに町役場に行くと、どうも気分が悪くなる。窓口対応というか、システムも悪い。
駅前の町立駐車場を月極で借りたら、便利な下層階がガラガラなのに、月極契約者は6階に駐めさせられるわ、料金高いわ、門限は23時やわ…で、やめた。
駐車場の活性化案を町にメール送信したが、なしのつぶて。
この町は「住民サービス」という言葉など知らないように思えた。
「きっと首長があかんのやろう」と、思っていた。

で、1月末に町長選挙があり、現職は26%しか得票できず、敗退。
ほっとした。

最近、知り合った町議員のおっちゃんたちから聞いた話。
落選後、負けた町長は残る任期22日間、登庁しないと宣言したらしい。「地方自治法152条第1項の規定により、職務代理者をおく」と告示したのだ。
町議会議長に辞職願を出さないのは、自己都合による退職にしないのと同じ論理か。2月分の給与も4年間の退職金1750万円も満額受け取るだろう。 

負けた町長は、全国市町村長会や奈良県市町村長会をはじめ町内外の会合は軒並み欠席だった。「大和川改修促進期成同盟会」で東京出張したが、キオスクで買った缶コーヒー代や朝飯代まで請求した。600万円で公用車を買うた。200万円の町長デスクを買うた。自宅から庁舎まで300メートルに公用車を使う。定時で帰宅しては薬店の店番をしていた…。

いまどき、耳を疑うが、うそではないらしい。

首長とは基礎自治体の長として、まちづくり、住民の暮らしを左右する極めて重要なポスト。
しかし、4年前にこんな町長を選んだのは町民(私はわからなかったので白票を投じた)だ。

この町長の時に大災害が起こっていたら、「人災」によって被害は拡大したに違いない。

いや、どうしていいかわからないから出社拒否するだろう。となると、部下がきちんと働いたかも・・・(笑)。

いずれにせよ、この4年間、王寺町に災害が起こらなかったのは幸いだった。

 

地震考古学

2013 年 2 月 5 日 火曜日

facebookで地震考古学の講演を聞いたと書いたら、どんなんか教えろとリクエストをもらった。

ということで、
地震考古学の提唱者・寒川旭氏が、今年1月16日に大阪で開催された「防災とボランティア週間」講演会で講演された内容を勝手にまとめてみた。

 

日本全国の遺跡から、記録に残る大地震の隙間を定間隔で補うように、大地震の発生痕跡がぞくぞくと発見されている。

日本列島で発生した過去の大地震は、文字記録から情報を得ていた。

「日本書紀」天武十三年条(684)では、諸国で甚大な被害が発生して道後温泉が出なくなった。「日本三大実録」では、仁和3(887)年7月30日に五畿七道諸国を揺るがす地震が、貞観11(869)年5月26日夜に陸奥国で大地震が発生して津波が多賀城下まで押し寄せたと記録されている。

まとめると、南海地震は684年(白鳳地震M8.4)、887年(仁和地震M8.6)、1099年(康和地震M8.2:2年後に永長地震M8.4)、1361年(正平地震)、1605年(慶長地震M7.9:3つの地震が連動)、1707年(宝永地震M8.6:3つの地震が連動)、1854年(安政地震:安政東海地震M8.4の32時間後に安政南海地震M8.4)、1946年(昭和南海地震M8.0:2年前に東南海地震M8.0)と発生してきた。このうち、684年、887年の南海地震と連動する東海地震は残存する記録にはなかった。また、1498年の東海地震(明応地震M8.6)に連動した南海地震、1099年から1361年の間に巨大地震が発生した記録もなかった。

しかし、684年の南海地震に連動したと考えられる東海地震は、静岡県や愛知県、三重県でその痕跡が、1498年の東海地震に連動したと考えられる南海地震の痕跡も高知県四万十市アゾマ遺跡から発見された。また、1099年から1361年の間は東海・南海地震の空白期だったが、那智勝浦町の川関遺跡で1200年代当初の液状化の地震痕が発見された。

南海トラフ地震年表

西暦表記は文献記録に残る地震、●は遺跡から痕跡が発掘された地震

つまり、東海地震と南海地震は同時あるいは連動して約150年間隔で発生すると考えられる。

一方、活断層による地震は東海・南海地震(南海トラフの巨大地震)が発生する前後に集中して発生している。

818年から仁和地震までの70年間には、貞観地震をはじめ埼玉、秋田、長野、伊豆、山形、越後越中、播磨、関東南部、出雲で大地震が起こった。伏見城が大破した1596年伏見地震、1586年の天正地震などは1605年の慶長地震期のもの。1944年と1946年の昭和南海地震、東南海地震期(約60年間)には関東大震災や濃尾地震が起きている。

9世紀の地震活動期に発生した大地震

19世紀末から20世紀前半の地震活動期に発生した大地震

また歴史的に見ると大地震は時代の変わり目に発生しているように思われる。

日本は1964年の新潟地震から地震の活動期に入ったと考えられ、南海トラフの巨大地震発生の「予定日」以降、どんな日本になるのだろうか。

★ちなみに、地震を「なまず」と記録されている最古の物は、豊臣秀吉の手紙だそうだ。
その手紙には「京都で伏見城をつくるが、なまず対策が大切だ」と、書かれているとのこと。

紀伊半島大水害
7箇所で水が堤防を超えた熊野川

2012 年 11 月 13 日 火曜日

新宮市と紀宝町を流れる熊野川は、水位が20メートル上昇した。
堤防から水が溢れる越水は7箇所で起きた。

熊野川とその支川の相野谷川の被害と復旧を案内してくださったのは、新宮川出張所の原田所長。

出張所は熊野川水害対応の前線基地となった。

カメラや水位計が水没してしまい、この表示板は役に立たなくなり、災害の実態を知るには現場に行かねばならなかった。

新宮川出張所の警報表示板

新宮川出張所の警報表示板

 

監視カメラの映像

監視カメラの映像

九州地整局や中部地整局から派遣されたTEC-FORCEがそれぞれ河川と道路の支援にいちばんに来てくれたが、出張所は前もって知らされてなかったという。災害の時はこの手の混乱はつきものだ。

 

まずは熊野川支川でもっとも河口に近い市田川から見学スタート。

市田川が熊野川に流れこむ合流点に水門と排水ポンプが設けられている。このあたりは水も電気も2日間通じなかった。市田川は九州地整局のTEC-FORCEが排水ポンプ車を出動させた。

幸い、市田川では越水も内水被害もなかったという。

市田川水門

市田川水門

しかし、いまでも排水ポンプ車と照明車(近畿地整局のもの)が待機している。

むこうに見える排水ポンプ車

むこうに見える排水ポンプ車

熊野川は護岸が崩壊した。

蓬莱地区はもともと堤防のないところ。ブロック護岸が崩壊したが、応急復旧はせず、河道掘削を行う。目に見える護岸が被災したままの状態なので、市民から「まだか」と言われるらしい。「対策工事を何もしていない」と見えるのは否めない。

川の中や土の中、山の裏手など、人の目に触れないところの工事は「やってまっせ」とアピールするのが難しい。

熊野川の池田地区

熊野川の池田地区

ここはかつて池田港があったところで、どひゃっと洪水がまちに入ってきた。

工事は護岸を強固につくりなおすことだが、今年の台風でまたもや被害にあってしまった。

 

熊野速玉大社の御船祭りの基地・船町は護岸と高水敷がやられた。

高水敷は10月16日の御船祭りにあわせて復旧したが、護岸は応急復旧のまま。

熊野川の池田地区 熊野速玉大社の御船

熊野川の池田地区 熊野速玉大社の御船

応急の護岸対策

応急の護岸対策

堆積土砂

堆積土砂

 

上記の写真はいがんでるが、排水口から上が堆積土砂。ちょうど川が蛇行していて土砂のたまるところだが、それにしても…。

 

越水した相筋地区

越水した相筋地区

熊野川が河口直前で湾曲しているところに位置する相筋地区も、水がまちなかに入ってきた。護岸もえぐられた。
この地区はまちづくりに熱心な住民が多いらしく、この日も住民に呼び止められた。(;へ:)

熊野川の左岸河口は2キロにわたって護岸が崩壊し、管理用通路も滅茶苦茶になった。

護岸工事中

護岸工事中

放置されたままの管理用通路

放置されたままの管理用通路

 

紀伊半島大水害
巨石!和歌山県田辺市熊野(いや)地区

2012 年 11 月 11 日 日曜日

三越から熊野まで2時間。くねくね道を走った。(;へ:)

崩落土砂量は北俣地区の次に小さいが、崩壊地は高さ650メートル、幅410メートル。特徴は崩落土砂が巨石が多いということだ。

熊野の深層崩壊(動画)

こんな巨石がゴロゴロ

こんな巨石がゴロゴロ

土砂ダムによって二つのせき止め湖ができたが、どちらもすぐに埋め戻し、せき止め湖からの越流の心配を取り払った。

他の土砂ダムと同様、仮排水路建設を急ぎ、厚さ5センチのコンクリートで水の道をつくった。

が、今年6月の台風4号でコンクリートに亀裂が入ったため、10センチ厚に増強された。

 

整然と美しい砂防堰堤

整然と美しい砂防堰堤

いま排水路は完成し、その下流に砂防堰堤14基が建設中だ。

完成すれば、美しい土木の風景ができるにちがいない。

排水路と堰堤の材料は崩壊によって発生した巨石。堰堤への活用は、巨石除去と材料調達の一石二鳥だ。作業に欠かせない大型破砕機は、分解して陸路で持ち込んだという。

私の長靴でスケールわかります?流路と堰堤の正体

私の長靴でスケールわかります?流路と堰堤の正体

ここは市道があったため、その復旧ルートにあわせて、崩落斜面の対策を決めるらしい。

今も土石流の24時間監視が続く【ワイヤセンサー】

今も土石流の24時間監視が続く【ワイヤセンサー】

 

紀伊半島大水害
河道閉塞決壊で100年前の河道にもどった三越地区

2012 年 11 月 11 日 日曜日
三越地区の崩落地

三越地区の崩落地

50万立米の土砂が崩落した、和歌山県田辺市本宮町三越地区。

ここは土砂ダムが決壊し、土石流によって奥番集落が壊滅した。

100(123)年前に河道閉塞が起こり、やはり決壊して三越川の流れが変わってしまったが、今回の災害によって流れが元に戻ったという。

 

三越地区パン(動画)

奥番集落はかつて土砂崩落でできた土砂の上に形成された。高台にあった集落のほとんどが今回流されてしまった。紀伊半島大水害では、このような事例が多いらしい。

幸いこの集落では災害前に行方不明者が発生したため村人総出で探索しており、崩落・決壊したときには家に残っていた者はいなかったらしい。これも、災害時に必要な地域コミュニティの力か。

災害後、地元神社の例祭に合わせて地区の「解散式」をしたが、「帰りたい」というおばあちゃんが出現して、一軒だけ住んでいる。

 

ここは残ったダム湖を4.5万立米の土砂で埋め戻し、今は三越川の護岸と崩落地を整備中だ。

新たな河道を整備し、途絶した市道も繋がねばならない。

流失した市道

流失した市道

直径4.5メートルのパイプが水の道

直径4.5メートルのパイプが水の道

三越川はいま直径4.5メートルのコルゲートパイプを流れている。

 

三越川の護岸

三越川の護岸

粛々と工事は進められていたが、今年6月の台風4号でこの写真の白い玉石を入れた籠400個が流された。

その大きさは、写真の中の人と比べると、わかっていただけるだろう。

土石流の破壊力はすさまじい。

紀伊山地大水害
崩落石でゴロゴロの那智川

2012 年 10 月 25 日 木曜日

樋口川

河川は下流に向かって右手が右岸、左手が左岸。

ここの堰堤は左岸側がほぼできていた。

半分が概成した樋口川の砂防堰堤(動画)

平野川

ここの砂防堰堤は那智川との合流点からそんなに遠いところにつくられているわけではないが、見上げるような高さだ。

見上げるほどの急斜面 平野川

見上げるほどの急斜面 平野川

本堤は4月に着工し、この11月に完成するとのこと。

本堤の前には二つの堰堤(副堤と垂直堤)がつくられる。

※副堤・垂直堤はほとんどの堰堤でつくられる。

平野川の砂防堰堤

平野川の砂防堰堤

 

金山谷川

金山谷川では2つの砂防堰堤が建設中だ。

那智川支川につくられる砂防堰堤の中でいちばん奥に位置しており、規模もいちばん大きい。

工事用道路をあがっていくと、大きな石がゴロゴロ。

「ここは大きな石がいっぱいで、すごいです」との大下さんの説明どおり、3~5メートルの物もある。

工事現場にあがる道路から(動画)

 

高さ1メートルはあった

高さ1メートルはあった

 

下流の第一堰堤

下流の第一堰堤

とにかくゴロゴロ。

とにかくゴロゴロ。

 

上流の第二堰堤

第二堰堤がつくられる岩盤に流れ込む水流

第二堰堤がつくられる岩盤に流れ込む水流

第二堰堤は那智川合流部から3~4キロ上流で、岩盤の上につくられる。

砂防堰堤2基をつくり、川らしく水の流れを集めるための工事は、すべて紀伊山地砂防事務所の仕事だ。

 

尻剣川

シュリケンガワと読む。

堰堤が整備される上流は、忍者がでてきても不思議でない。

尻剣川の砂防堰堤(動画)

紀伊半島大水害
崩壊斜面は急傾斜 野迫川村・北股

2012 年 10 月 23 日 火曜日

弘法大師・空海が高野山をひらくよう啓示を受けた場所とされる、立里岳の荒神社。毎夏のお参りドライブの馴染みの道を通って北股へ。

運転手さん、速いっ!

カーブだらけの道やんか!

到着したのは廃校となった北股小学校。いまは工事の現場事務所だ。通された部屋は、重機の遠隔操作をしていたところ。ここでは発災直後に作業員が崩落地に入って行くには危険すぎるため、重機をリモート操作する無人化施工をしていた。

ここで味噌汁をいただき、元気復活。いざ、崩落の頂へ!

小学校から頂まで高さ230メートル。そんなもん、登れまっかいな。工事用モノレールに乗った。

このモノレールは林業者が敷いていたレールを一部活用しているという。レールは心許ない太さで、小型の発発が我々を引っ張ってくれた。

工事用モノレールで北股のてっぺんに(動画)

工事用モノレールに乗って

工事用モノレールに乗って

崩落の頂はこの山の尾根にあたる。てっぺんからからドスンと崩れたのだ。せき止め湖は比較的小さく、かつすぐ下流に約30戸の集落があるため、土砂で埋められた。

 

崩落後は急斜面

北股の崩落後は急斜面

北股のてっぺんから(動画)

 

このてっぺんから降りた。

長靴も心許なかったが、登山靴より滑りにくい。意外だ。

崩落地はボロボロの地質で、驚いた。

ボロボロの土質(動画)

雨水が流れた跡があちこちで陥没している。

北股の崩落斜面 パン(動画)

こんな柔らかい地質だから、崩落跡地は緩い勾配にしなくてはならないと、大下さん。

「昨年度に砂防堰堤をつくりたかった」とのこと。
ここは、素人目にも砂防堰堤整備が急がれると、わかる。

ところで、熊谷組はこんなしゃれっ気がある。

工事事務所でもらった「熊谷グミ」

工事事務所でもらった「熊谷グミ」

紀伊半島大水害
土砂ダムが決壊した天川村・坪内

2012 年 10 月 22 日 月曜日

昨年の紀伊半島大水害の災害対策現場を10月9日から二泊三日でまわった。

大規模天然ダムの対策地、北股と熊野、天然ダムが決壊して大規模な対策が必要な3箇所、土石で埋もれた那智川、7箇所で越水した熊野川、熊野川の支川で輪中堤が浸水した被災地をまわった。

 

9日9時に五條市にある国土交通省近畿地方整備局の紀伊山地砂防事務所へ。

奈良県・和歌山県から要請を受けて国が進めている対策工事の拠点だ。別の事務所と相部屋ならぬ相建物。職員さんは22人で、うち技術系が7人という。

大下正和副所長が北股、熊野、3箇所の対策地、那智川を案内してくださる。ありがたい。

大下さんは9月12日~14日、深層崩壊で土砂ダムができた栗平にTEC-FORCEとして入ったという。10月7日に北股地区担当の監督官として五条監督官詰所に異動し、紀伊山地砂防事務所が開設された4月6日からここに。大下さんは紀伊半島大水害から離してもらえないようだ。

■天川村 坪内

坪内地区では3箇所で深層崩壊が発生し、それぞれで土砂ダムができ、うち2箇所で決壊した。教職員住宅と村営住宅2戸が決壊した土石流で全壊、58戸が床上浸水、行方不明者1人。

国交省が担当しているのは、高さ150メートル崩落した箇所。もともと奈良県が土砂を取り除き、埋もれた県道を川側につけかえたが、12月15日から国交省が引き継いだ。

いま道路のあるところは天の川という川だった。

坪内 土砂ダム決壊で流れが変わった天の川

坪内 土砂ダム決壊で流れが変わった天の川

仮の護岸工事は完了していた。

今年6月の台風4号の豪雨で、十分安全に流れるはずだったのに、上流のキャンプ場が浸水してしまった。

地元からは、もっと河道を広げるよう強く要望されていて、崩落した対岸の岩山をさらに切り落とすという。琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川のネックだった大日山を思い出した。

坪内の大規模土砂崩落パン 動画

大下さんがいっしょに解説してくれた。=*^-^*=