気鋭の研究者に学び交流する「知」の場。関西から発信する、(妥協しない)高品位な「知」。

‘Anima京都サロン’ カテゴリーのアーカイブ

11:片山杜秀「政治と文化、どっちが大事?--大正教養主義から、丸山眞男、三島由紀夫まで--」

2010 年 11 月 5 日 金曜日

日時:2010年11月20日(土)午後2時~4時
参加費:7,500円(事前申し込み) 参加者募集中
定員:7人
会場:京都市伏見区桃山水野左近東町76 京阪・近鉄「丹波橋」徒歩10分、(株)リブアート内

なお、お申し込みいただきますと、振込のご案内メールをお送りします。
入金確認によって本受付とさせていただきますので、ご了承ください。

●ゼミナール概要

唯一絶対の正義、みんなが納得して誰も文句を言えないような真理があって、それが社会の隅々にまで実現し、世界に遍くゆきわたる。
そんなことが本当にあるでしょうか? そもそも、どんな世の中にも、老いにも若きにも、貧乏人にも金持ちにも、いつでもどこにでも、当てはまる正義や真理が存在するでしょうか。みんなが納得する正義や真理なんて、やっぱり簡単には見つけられないのではないでしょうか。
それどころか、唯一絶対の正義があると信じて、それを押しつけてくる人がいたら、実際は困るんじゃないでしょうか。そういう人たちが政治権力を握ったらどうなるでしょう? 「社会をすばらしくするために、こんな本、こんな学問、こんな娯楽、こんな映画、こんな音楽、こんなTV番組は禁止します」と言われたら、困るんじゃないでしょうか。「国家を発展させるために、とりあえずあなたの命を捧げてください」と頼まれたら、いやなんじゃないでしょうか。
すると、どうすれば? 政治を、個人の精神生活に、文化に、趣味に、芸術に、なるべく介入させない。政治をなるべく狭く限定的な役割に囲い込んでおく。特定の正義や真理に向かって政治を暴走させないようにする。人が好きなことのできるスペースをなるたけいつもあれておく。そこに尽きるのではないでしょうか。簡単に言うと、政治という狼から文化や教養や趣味といった羊を守れれば、とりあえずそれで充分ではないかということです。
そういう観点から日本の近現代の思想史を眺めると、右翼とか左翼とかリベラルとか、従来のありがちな分け方とは違った分け方ができるのではないでしょうか。大正教養主義や戦後民主主義、北一輝や大川周明や安岡正篤や丸山眞男や三島由紀夫を取り上げつつ、歴史の風景をどこか変えられたらと、考えています。
ここでひとつ重要なのは、日本を代表する政治学者で戦後民主主義の擁護者、丸山眞男が、クラシック音楽好きだということです! あとはふたを開けての御楽しみということで、よろしくお願い致します。

●片山杜秀(かたやま・もりひで)【プロフィール】

1963年宮城県生まれ。1986年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
1992年慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。政治思想史を専攻。 大学時代から雑誌・新聞に、時事コラムや音楽評、映画評などを幅広く執筆。 2008年に『音盤考現学』『音盤博物誌』でサントリー学芸賞と吉田秀和賞を受賞。
2008年から慶應義塾大学法学部政治学科准教授(政治文化論担当)。2009年から国際日本文化研究センター客員准教授。
思想史研究者、音楽評論家。
【おもな著書】『近代日本の右翼思想』(講談社[選書メチエ], 2007年)、『音盤考現学――片山杜秀の本1』(アルテスパブリッシング, 2008年)、『音盤博物誌――片山杜秀の本2』(アルテスパブリッシング, 2008年)、『クラシック迷宮図書館――片山杜秀の本3』(アルテスパブリッシング,, 2010年)、『続クラシック迷宮図書館――片山杜秀の本4』(アルテスパブリッシング, 2010年)など。

10:福間良明「「広島」「長崎」の語りの変容~「戦争体験の断絶」と戦後」

2010 年 9 月 18 日 土曜日

10月のAnima知の階ゼミナール【京都サロン】は、福間良明先生です。

日時:2010年10月16日(土)午後2時~4時

参加費:7,500円
定 員:7人
会 場:京阪・近鉄「丹波橋」徒歩10分

■講演概要
「戦争体験の継承」が言われて久しい。だが、そもそもそれは、いかに「断絶」してきたのか。その点には、意外に注意が払われなかったように思える。
また、「断絶」といっても、それは過去と現在の「断絶」に限られるものではないだろう。たとえば、戦没学徒兵の手記をめぐる言説の変化と沖縄戦や広島・長崎のそれとのあいだには、さまざまな食い違いが生じていた。だとすると、その食い違いの断面には、同時代で見落とされがちであった何かが浮かび上がっているのではないか。
本発表では、おもに広島や長崎での議論を取り上げながら、(1)両者の議論のされ方や議論の背景はいかに異なっていたのか、(2)それらの議論は、他の戦争の語りとどのように相違していたのか、について考察する。そのうえで、戦争の語りの問題点、あるいは、かつてはありえた議論の可能性について、考えていきたい。

●福間良明(ふくま・よしあき)プロフィール
1969年熊本市生まれ。1992年、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。出版社勤務ののち、2003年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程を修了。2004年に香川大学経済学部講師、2008年から立命館大学産業社会学部准教授。
2003年に「ラフカディオ・ハーン研究言説における『西洋』『日本』『辺境』の表象とナショナリティ」(『社会学評論』53-3・2002年)で第2回日本社会学会奨励賞を、2007年に『「反戦」のメディア史』(世界思想社・2006年)で、第1回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞を受賞。
【おもな著書】
『辺境に映る日本――ナショナリティの融解と再構築』 (2003年柏書房)、『「反戦」のメディア史』(世界思想社・2006年)
『殉国と反逆――「特攻」の語りの戦後史』(2007年青弓社)、『「戦争体験」の戦後史――世代・教養・イデオロギー』(2009年3月・中公新書)など。

神門善久「さよならニッポン農業」 Anima知の階ゼミナール【京都サロン】

2010 年 8 月 23 日 月曜日
残酷な残暑、お見舞い申し上げます。m( _ _ )m
9月のAnima知の階ゼミナール【京都サロン】は18日に、
神門先生にご登壇いただくことになりました。
(8月は都合でとりやめました)
みなさまのご参加を心からお待ちしています。
お申し込みは本メールにて返信いただいても、
ホームぺージからいただいても、結構です。
09:神門善久「さよならニッポン農業」

●ゼミナール概要
日本農業は、きわめて厳しい停滞状態にある。OECDによると国内農業保護額(PSE)は4.2兆円で、農業の純付加価値額の3.0兆円を上回る(いずれも2007年時点)。つまり、農業生産を増やせば増やすほど、日本の国民所得が減少するというという異常事態である。
しかも、この先、ますます農業の前途を暗くする4つの要素がある。第一に、世界的な貿易自由化の潮流にあって、日本がコメなどに課している高関税がこれから先は、削減せざるを得なくなる可能性が高い。第二に、日本人が肉体的・精神的に野良仕事に耐えにくくなり、外国人(中国人やフィリピン人)への依存を高めているが、外国人雇用の法的枠組みが未整備で、今後も安定して外国人を雇用しつづけることができるかが不安である。第三に、圃場が複雑に組み合わさり、水利を集落全体で共有するという日本農業では、集落全体で計画的に水や土地を使わないといけないのに、「和を尊ぶ」という農村文化が崩壊しつつあり、農家がめいめい勝手気ままがお互いの足を引っ張り合うという事例が増えている。第四に、ここ数年の「規制緩和」により、非営農企業が農地に利用権を設定しやすくなっており、非営農目的での農地所有が増える可能性がある。
ところが、日本農業がこのような暗澹たる状況にあるのとは真逆で、ここ数年、日本の出版界では異常なまでの「農業ブーム」が起きている。書店には、就農を推奨したり、農業の成功談を紹介したり、農水省・JAの古い体質を攻撃したりする本が、大量に並び、めぼしい本屋には特別コーナーまで設けられた。ファッション誌からビジネス誌にいたるまで、農業特集が盛んに組まれている。外国人労働者や農地利用の無秩序化といった不愉快な話題は一切避け、夢のような農業論が展開され、読者を心地よい高揚感に誘っているようである。本報告では、「農業ブーム」の意味を解説しながら、現代日本社会の特徴を考察する。

1962年島根県生まれ。1984年京都大学農学部卒業、京都大学農学研究科農林経済学博士後期課程中退。農学博士。滋賀県立短期大学助手などを経て、2006年から明治学院大学経済学部経済学科教授。農業政策論、経済発展論などを担当。
『日本の食と農―危機の本質―』(NTT出版、2006年)で第28回サントリー学芸賞(政治・経済部門)および第7回日経BP・BizTech図書賞を受賞。
「研究者は真実に対する畏怖の念さえ持っていればよいのであって、他におそれることはありません。これでマスコミや”識者”から敬遠され、干されたとしても、それが私の人生と腹をくくっています」。
【著書】「日本の食と農 危機の本質」(NTT出版、2006年)、『偽装農家』(飛鳥新社、2009年)『さよならニッポン農業』(NHK出版、2010年)など

★10月は16日(第三土曜日)に福門良明先生を迎えて開催します。

●神門善久(ごうど・よしひさ)【プロフィール】

日時:2010年9月18日(土)午後2時~4時
参加費:7,500円(事前申し込み) 参加者募集中
定員:7人
会場:京都市伏見区桃山水野左近東町76 京阪・近鉄「丹波橋」徒歩10分、(株)リブアート内

07.土佐尚子「カルチュラル・コンピューティング」~工学と文化を結ぶコンピューティング

2010 年 5 月 29 日 土曜日

日時:2010年6月26日(土)午後2時~4時
参加費:7,500円(事前申し込み) 参加者募集中
定員:7人
会場:京都市伏見区桃山水野左近東町76 京阪・近鉄「丹波橋」徒歩10分、(株)リブアート内

なお、お申し込みいただきますと、振込のご案内メールをお送りします。
入金確認によって本受付とさせていただきますので、ご了承ください。

●ゼミナール概要

未来のコンピュータの不可欠なコミュニケーション能力である、定量化できなかった個人の感情・意識・民族性・物語性といった人々に内属する文化の本質を表現し、文化の精神に触れるインターフェースを研究しています。文化には、固有のまたは共通の形式があります。人間が歴史の中で行為や文法などの形で蓄えてきたものをモデル化し、ITを用いてインタラクティブな表現、文化理解体験をする方法を、「カルチュラル・コンピューティング」と定義します。特に日本文化のコンピューティングに注目し、ほとんどコンピューティングの対象となって来なかった(1)日本の移ろいやすい気象・自然風土「もののあわれ」などの無常思想、「わび、さび」などの美意識 (2)日本文化とアジア文化との関係性 (3)神仏習合を根底とした文化構造 (4)和歌、俳譜や能などの日本語独特の特性 (5)日本的意匠(紋、織、色、型、能、歌舞伎)を研究しています。
こうした「カルチュラル・コンピューティング」の概念を提示し、未来のコンピュータのコミュニケーション能力に欠かせない、人間の感情・意識・記憶の違いを反映させるコンピューティングの方法を説明します。

●土佐尚子(とさ・なおこ)【プロフィール】

メディアアーティスト、研究者、京都大学学術情報メディアセンター教授、シンガポール国立大学客員教授、工学博士(東京大学)。SIGGRAPH、ARS ELECTRONICAといった代表的な国際会議にて講演や作品を発表。NY近代美術館、メトロポリタン美術館等の企画展に招待展示。作品はアメリカンフィルムアソシエイション、国立国際美術館、富山県立近代美術館、名古屋県立美術館、高松市立美術館などで収蔵されている。

■なお、参加登録については下記手順です。参加費振込を確認したのちご案内申し上げます。

京都サロン06.諸富徹氏「本質はモラル・サイエンス~経済学とは何か?」

2010 年 5 月 13 日 木曜日

日時:2010年5月22日(土)午後2時~4時
参加費:7,500円(事前申し込み) 残席わずか
定員:7人
会場:京都市伏見区桃山水野左近東町76 京阪・近鉄「丹波橋」徒歩10分、(株)リブアート内

なお、お申し込みいただきますと、振込のご案内メールをお送りします。
入金確認によって本受付とさせていただきますので、ご了承ください。

●ゼミナール概要

2008年9月の「リーマン・ショック」をきっかけとする世界同時不況を、経済学は事前に予測できたわけではありませんし、かといって、事後的に有効な処方箋を提示しえたわけでもありませんでした。このことから、経済学のあり方を改めて問い直す動きが広がっています。
経済学は、天文学が「日食」や「月食」の日付を正確に予測できるように、景気の予測を正確に行えるわけではありません。それは、経済学が人間の行動を扱っているためです。経済学では人間の行動を「効用最大化」で説明していますが、現実にはそれ以外の多様な動機と要因が作用しています。
こうした不確実な人間行動を取り扱う点で、経済学は本質的に「モラル・サイエンス(道徳科学)」であって、自然科学とは区別されなければならないと鋭く警告を発したのは、他でもないケインズでした。しかし、物理学をモデルとして発展してきた経済学は、「資源配分の効率性」を唯一の判断基準として採用する一方、「公平性」や「平等」などの価値の問題を明示的に取り扱わなくなっているのが実情です。
とはいえ、新古典派経済学の形成者にしてケンブリッジ大学経済学講座の教授だったアルフレッド・マーシャルは、数学専攻だった学生時代、ロンドンの貧民街を歩いて貧困の悲惨さを目の当たりにし、そのような人々を救うために経済学を志したといわれています。彼は教授就任講演で、経済学を学ぶ者には「冷静な頭脳と温かい心」が必要だと説いています。
本講義でも、『ヒューマニティーズ 経済学』(岩波書店,2009年)を素材にして、経済学を「冷静な頭脳と温かい心」の科学として捉え、アダム・スミスからケインズに至るまで偉大な経済学者がどのように現実と格闘しながら理論を紡ぎだそうとしたかを振り返ることで、「経済学とは何か」を一緒に考えてみたいと思います。

●諸富 徹(京都大学大学院経済学研究科教授)【プロフィール】

1968年生まれ。1993年同志社大学経済学部卒業。1998年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。1998年横浜国立大学経済学部助教授、2002年京都大学大学院経済学研究科助教授、2006年同公共政策大学院助教授、2008年同大学院経済学研究科准教授を経て、2010年3月から現職。
この間に、内閣府経済社会総合研究所客員主任研究官、ミシガン大学客員研究員を歴任。主著に、『環境税の理論と実際』(NIRA大来政策研究賞、日本地方財政学会佐藤賞、国際公共経済学会賞を受賞)がある。他に、『環境〈思考のフロンティア〉』岩波書店(2003年)、『経済学〈ヒューマニティーズ〉』岩波書店(2009年)、『地域再生の新戦略』中公叢書(2010年)、『低炭素社会への道』岩波新書(共著、2010年)など。

日本の考古学は辺境だった!

2010 年 5 月 8 日 土曜日

松木武彦先生の京都サロンは認知考古学。

考古学というと、日本人は「●●が発掘された」「●●がどこにあった」「●●時代にはこんな暮らしをしていた」というのを証明したり発見する学問だと思っているのではないかしらん。

ちゃいますねん。それは考古学の一つのアプローチに過ぎないのです。

警察で言うと、日本の考古学は鑑識。

一方、松木先生が研究している認知考古学はプロファイリングだという。

モノのカタチから人の心理的機能を見出し、その最大公約数をつかむのが認知考古学という。流行など経済的現象も心が支えているから、経済的現象と「心」は双方向的な関係がある。モノとして残っていないものを対象に研究するから、そら我々が知っている考古学とはちゃいますわ。
ゴシップが得意で、友情を感じるなどの人の心は、後天的に教えられたのではなく、もともと持っている心の基本構造だ。これは進化の過程で獲得してきたもので、普遍的であるから、古代人の心にアプローチできるという。
認知考古学は、ヒトの本質を分析することを通じてモノや社会の本質を読み解くことであって、「古代の思考を復元すること」ではないとのこと。

日本では「生まれつつある学問」に取り組む松木先生夫妻、応援します!

京都サロン04:04.加藤陽子「日中戦争から日米戦争へ--言葉の変容から見る戦争の拡大」

2010 年 3 月 21 日 日曜日

04.加藤陽子「日中戦争から日米戦争へ--言葉の変容から見る戦争の拡大」
日時:2010年3月27日(土)午後2時~4時
参加費:7,500円(事前申し込み) 参加者募集中
定員:7人
会場:京都市伏見区桃山水野左近東町76 京阪・近鉄「丹波橋」徒歩10分
■ゼミナール概要
私はこれまで、一九三〇年代の日本を外交と軍事の側面から研究してきました。三〇年代は戦争一色の時代に見えます。しかし、カール・シュミットが「激しい対立はその決定的瞬間において言葉の争いになる」、「真の権力者とは自から概念や用語を定める者であることである」と述べているのを想起すれば、この時代の歴史を、概念や用語の定義をめぐる闘争の時代であったと捉えかえすことも可能なのではないでしょうか。
そこで次に考えるべきは、三〇年代において、日本とアメリカ、あるいはドイツとアメリカの間で争われた概念や用語とは何であったのかという点です。国際連盟規約や不戦条約により戦争は違法なものであるとの認識が広まるなかで、特殊権益、自衛、中立などの定義が変容を迫られていきました。今回の講義では、以上のような問題関心と視角から、日中戦争が日米戦争へと拡大する道筋についてお話したいと思います。

2月はおやすみです

2010 年 1 月 27 日 水曜日

2月は古代史をテーマに予定していましたが、実施を見送ることにしました。申し訳ございません。

3月は27日(土)に開催します。

講演概要は近日中に掲載しますので、お楽しみに。

みなさまのご参加をお待ちいたします。

■参加登録については下記手順です。参加費振込を確認したのちご案内申し上げます。

(1)参加意思をメールで送る

(2)事務局から参加費振込先等を連絡

(3)参加費を振り込む

(4)参加成立・・・会場へのアクセスマップをご案内

Anima京都サロン01.16 チャイナパワー東アジア国際政治の原点 岡本隆司

2010 年 1 月 8 日 金曜日

今年第一弾の【京都サロン】は中国の国際政治の歴史から、わが国との関係を知るゼミナールです。

まだ数席ありますので、ぜひご参加ください。
http://www.animateur.co.jp/kizahashi/salon.html
中国語は日本と同じ漢字を使うので、日本語と同じことばがたくさんある。たとえば、辞典、学習、学校などなど。これらはまったく意味がかわらない。しかし同じ字面でも、手紙、新聞、汽車のように、意味の違うものもある。そして、もともと異なる意味だったのに、同義に変わってきたものもあって、政治にかかわる概念が多い。国家、外交、属国などがそれにあたる。現代の中国という国ができあがる過程は、じつはこの変遷ときわめて深い関係がある。
17世紀の初め満洲族が建てた清朝は、18世紀に東アジア全域をおおう大帝国になる。その版図は、北はアムール川の流域からモンゴル、西はトルキスタン・チベットにおよび、さらに南は東南アジア陸海の諸国を、東は琉球・朝鮮を属国とした。史上空前の広大さといってよいが、しかし全体を唯一のルールで、一律に支配したわけではない。各々の地域では、在来の政治体制・社会構造がそれぞれそのままであり、ただその最上級の君主と支配層を清朝に代えたのみである。だからたとえば、漢人とチベット人には、まったく違う政治が行われていたし、琉球・朝鮮も各々の国王が統治していた。チベットやモンゴルは「属地」とよび、琉球や朝鮮は「属国」というものの、いずれもほぼ自主自立していたわけである。
19世紀の西洋列強は、しかしこうした関係のあり方を理解しようとしなかった。近代国家・国際関係の原則とまるで異なっていたからである。そのうち重大な問題になったのは、中国からみて地政学的に重要な「属国」、ベトナムと朝鮮である。清朝は安全保障的な関心から、「属国」であることを理由に、この両国に軍事的な保護を試み、進出をねらう列強と摩擦、ひいては戦争をひきおこす。すなわち清仏戦争・日清戦争である。
戦争に敗れた清朝は「属国」を失い、それまでの統治体制を根本から見なおす必要に迫られた。そして20世紀に入り、それまで「属地」であったチベットやモンゴルに、イギリス・ロシアの勢力が進出してくると、清朝・中国は「属地」を理由に、新たに直接的な支配を及ぼそうとし、チベット・モンゴルの側は、そこから離脱しようと試みる。これが中国の民族主義(ナショナリズム)・国家(ネーション)の出発であり、こうした構図は東トルキスタン(新疆)・満洲(東北)も同じであった。それに応じて、「属国」「属地」ということばも、中国の不可分な一部という意味に転化する。
20世紀初めに現れたこの情況が、現在の中国と辺境・周辺国との関係を規定し、現代にまでつづく東アジアの国際政治の原点となっている。以上おおまかに述べた歴史過程を今回、具体的にたどってみたい。
参加申し込みは道下へのメールか、
上記HPからお申し込みください。

新年あけましておめでとうございます。

2010 年 1 月 3 日 日曜日

元旦の初詣はいつも同級生と滝谷不動に行く。

境内は混み合っていた。本堂に入り、お供えとその寄贈者の名前札が山のようにあるのを見ながら手を合わせた。「これらの人々の願いごとが叶えられますように」と、自覚のないまま祈った自分に少し驚いた。ちょっとだけ自分を誉めてやりたいと思った。世界の平和や安寧を心から訴える先達の足元には及ばないが、近い気分なのだろうか。

元旦からブラジルで土砂災害、インドでは濃霧で列車衝突・・・と、惨禍が報じられている。今年も気象災害は減らないだろう。地球の人口がふくれあがり、とても養いきれない・・・と、地球自らの選択でこのような災害が頻発していると感じる。

人々の幸せを祈る一方でこんなことを感じるのは、矛盾ではない。あるがままに受け入れるということ、引き受けるということだ。

いやはや、なにをか言わん。素直な気持ちで今年一年がんばります。きっと佳き年にしませうぞ!