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‘もの申す’ カテゴリーのアーカイブ

はじめての松下政経塾出身総理
国を憂いた幸之助氏の思い

2011 年 8 月 29 日 月曜日

松下幸之助氏が日本の未来を憂えて30年前に設立した松下政経塾。

私財70億円を投じ茅ヶ崎に設立し、1980年から門戸を開いた。

幸之助氏生前最後の単独インタビューとなったTVO「関西ビジネス最前線 松下幸之助スペシャル」の取材で、松下電工の丹羽会長が語った言葉が忘れられない。

「(幸之助氏が)ふらっとやってきて、こう言いますねん。

”政経塾つくったけど、あれ、もう遅いな”

70億かけてつくって、私に愚痴言われても知りまへんな、と(言いました)」

実はその数年前に、ワコール塚本幸一氏が京都・真々庵に幸之助氏を訪ね、

「新しい政党をつくりたい。お金と命をください」と、詰め寄ったという。「政党を作るにはお金が必要だし、命も狙われるからそう言った」とのこと。新党創設は実現しなかったが、国を憂う思いは人材育成に向いた。

政経塾第一期生が我が国の首相となる日が来た。

しかも、時は大震災後の国難。

遅かったかも知れないが、このタイミングを良しと、草葉の陰で思っておられるのだろうか。

コストコはアメリカン体験ランド

2011 年 5 月 6 日 金曜日

わが家で四天王寺中学校の同窓会をすることになり、幹事役で浦安在住の親友とコストコに買い物に行った。

私はコストコ初体験。中内功氏がアメリカのスーパーマーケットをはじめて見たときと同等程度?の驚きと喜びだった。

食品のみならず、テレビから宝飾品まである。安い!買い物カートが並大抵の大きさではない。でかい!

目的外の売り場を喜んで歩き回つては友人に叱られ、飲まず食わずでカートを満杯にしてレジに進んだ。

レジもこれまた、びつくり。商品をベルトコンベアにのせる。飛行機の搭乗口で荷物をチェックする時に使うアレだ。

空腹を満たしたのは200円也のホットドッグ&ドリンクだ。

もちろんホットドッグは自分でトッピングする。水道の蛇口のようなところからピクルスやオニオンスライスがぐにゅぅと出る。

回転寿司のお茶の注ぎ口--やめてほしいあの蛇口を思い出した。

下手くそなのでぎょうさん掛けてしまったが、自分で取り込んだんだからすべて食べねばならぬ。

コストコはアメリカンそのものだ。安いから大量に購入して、余ったら捨てるのかも知れない。

そのスタイルが日本の食文化や買い物習慣を駆逐するとは思わないが、子ども連れの人は要注意。文化の多様性を体験できるお買い物ランドとして連れて行ってほしい。

大震災の取材、各社間で連携はあったのか?

2011 年 3 月 20 日 日曜日

みんな大震災と原発ニュースが気になっていると思う。私も深夜までテレビを見る毎日だ。

今に及んで「発見されていない」避難所はないと思うが、現地取材をテレビで見ていて当初疑問に思ったことがある。

取材に入る地域を各局で分担するなど、連携したのだろうか?取材活動は情報収集活動だから、各局それぞれだが、この大震災では避難所発見部隊という考えで、地域分担してもよいのではないか?(実現できていたのなら、素晴らしいことだ)

共通の地図を持って、担当地域に入り、情報発信し共有し、補完しあう。各社が同じ避難所を取材したかどうかは把握していないが、どうだったのだろう。

災害情報学会などでぜひ検証し、次なる災害に備えて欲しい。

自分の非力を思い、行政機関できっと不眠不休で働いているに違いない知人たちを思い・・・忸怩たる思いだ。

昨日ヘアースタジオに行ったら、その店は阪神淡路大震災の時にはスタッフ7人を引き連れて避難所にカットに行ったと聞いた。

手に職のない自分の非力をさらに思った。

今できることは、日本の土木のパワーを結集しているからこそ、現場復旧が着々と進んでいるのだと、発信することぐらいか・・・。

国難転じて幸とする

2011 年 3 月 18 日 金曜日

東北・関東大震災の犠牲者に心から哀悼の意を捧げます。そして被災者に勇気をもっていただきたいと切望します。

この大震災はわが国にとって、日本国民にとっての大きな試練だ。「足を知る」という大和魂の復活、自然への畏怖の復活を企図されていると、考えても良いのではないか。

鳥インフルも自然を操るというとんでもないことやってのけることを、わが国民に警鐘したのではないか。

ひとつ、提案したい。化石燃料に頼る社会を自然由来の燃料に転換する好機にすべきだ。

電力需要をまかなうために国は火力発電所を増設するらしいが、これは反対だ。日本が世界に「自然由来エネルギーで暮らす小資源国としてリーダーシップを取ることのできるチャンスとしてほしい。確かに大急ぎで電力の不足を賄わねばならない。でないと、日本の産業力に打撃をきたす。だけど、まだ熱変換効率が悪いといっても、太陽光発電は比較的早く整備できる施設ではないか。

この国難を転じて幸とすることを国全体で考えていくことこそ、世界の尊敬と次代のリーダーシップをとる道だと確信する。

自転車はエコでなくって、エゴ。

2011 年 2 月 3 日 木曜日

むかしから公共交通中心のまちづくり推進などのテーマで議論する時、いつも「おかしいヤンケ」と反発したいことがある。
自転車だ。
自動車は排気ガスをだすし事故も起こす、道路整備も必要・・・だから、自動車を排除して自転車で快適なまちづくりがいい・・・という価値観だ。
人口が少ない(20万人程度か)都市なら通過交通を排除したり都市居住者の安全を確保するために、自動車よりも自転車を重視する施策は考えられるかも知れないが、大阪のような都市は異なる。
大阪市が放置自転車にかけるお金は一日1000万円。
御堂筋は自転車の通行と放置・駐輪で極めて品格のないストリートになっている。側道を自転車専用道にするなど、もってのほかだ。
もちろん、御堂筋だけではなく、そこら中の筋・通に自転車がはびこる。
公共駐輪場も高い金をかけてつくっている。
「どけ、どけ」といわんばかりに通っていく自転車に恐い思いをしたという経験は、歩行者全員が持つと思う。
だけと゜、自転車は飲酒運転でこそ罰金があるものの、歩行者妨害しても罰金はなく、所有者に税金も課せられない。自動車からとった税金で整備された道路を、わがもの顔で走りよる。無茶な運転をしても痛い目にあうことはない。
おかしいヤンケ!

そこで、提案。
自転車に自賠責保険を義務とし、税金も払わせる。一台5000円ぐらいでどうか。違反者の取り締まりも「みどりのおじさん」のように民間に委託する。しっかり取り締まり、罰金もしっかり徴収する。

いまの自転車はエコではなくエゴだ!

道路では自動車も自転車もバイクもそれなりにフェアであることを基本に施策すべきと確信する。

こんな日本語の状況です。

2011 年 1 月 26 日 水曜日

これも前から気になっていた「状況」という言葉。
テレビを見ていると、この言葉を使う輩がなんと多いことか!
・・・雨が降っている状況です。
・・・起きやすい状況です。
広辞苑を引くと「ありさま。様子。情勢」。
→雨が降っているありさまです。
→起きやすいありさまです。
素直に「雨が降っています」とか「起きやすい」と言えばよいのに、「状況」という言葉がはさまれる。
この頃は、クライアントのチェックバック原稿にも「状況」が使われている状況だ(笑)。

「状況」という言葉を使うと、立場が客観的になるように思うのではないか。
断定するのではなく、第三者として客観的に見ているのだから、自己責任はない。
そや、自分で責任をとらなくて良いと思える言葉なのだ。
100%●●だと断定しないから、そうでない部分もあるという余地がある。言い訳もできる。

それにちょっと賢い表現にも思えるのかも知れない。
賢いはずのアナウンサーやニュースキャスターが使っているんだから。

通常、原稿はスリムな方が良く、スリムとは、なくても充分意味が通じる言葉--不必要な言葉をなくすのが基本だ。

世の中には「コーヒーにな」る人や、「お釣りにな」る人が多いけれど、これと通じるところもあるのかも知れない。言葉数が増えるぶん丁寧な表現だと勘違いしている人もいるかも知れない。

言葉はホンマにこわい。
何度も聞いていると、ついつい使ってしまう。
子どもの頃、わが家の向かいのニノミヤムセンから大音量で「女のみち」という大嫌いな歌が流され続け、知らぬ間についつい口ずさんでいた・・・。

あ~、変な言葉を伝播させてくれるな!

正常化の偏見

2010 年 11 月 5 日 金曜日

危険が迫ってくるまで「自分だけは大丈夫」と、危険を認めようとしない心理傾向を正常化の偏見という。

言い換えると「危険を無視する心理」だ。一種の自我防衛機能とし、次の2つの現れ方があると説明している(社会心理学者 広瀬弘忠氏)。

ひとつは、例えば何度か空振りに終わった警報・勧告等の経験が警報の深刻度を減少させてしまい、多くの人々が避難などの有効な災害対応行動をとらないというもの。もう一つは、危険が人々の対応能力をはるかにこえるほど大きく、かつ危険自体に曖昧さが含まれる場合には、危険度が極小に評価されるもの。大きな心的緊張に耐えきれなくなると、人々は事態の曖昧さが許容する範囲内で危険度を低く評価しなおすことによって、ストレス減少をはかろうとする、という。

そうか、これは災害だけではないのだ。ワタシも「わが社の危機」にはちゃんと目をむけず「がんばる根性があれば乗り越えられる」と、かつて根性論で一年過ごした(笑)。どれだけ営業に打撃を被るか、行く手が見えないという曖昧さもあった。

かといって、危機に翻弄されるのも極めてまずい。

正しく見、正しく判断する・・・わかりきったことが出来にくい。八正道のはじまりも正見だ。

大阪府咲洲庁舎!

2010 年 6 月 17 日 木曜日

e5a4a7e998aae5ba9ce592b2e6b4b2e5ba81e8888e1「平成OSAKA天の川伝説2010」の百人応援団にお礼とお願いをするため、久方ぶりに大阪ワールドトレードセンタービル(コスモタワー)に行った。

すると、この表示。

大阪府が直営で(外部業者を頼まず、職員で実施)したのだろう。

このビルは大阪市港湾局が1200億円をかけてつくった。当時港湾局は埋立地の売却収入をはじめ千億円単位の収益を得ていた。これを咲洲地区の多様な施設建設・整備にどひゃっと使ったうちの一つがこの大阪ワールドトレードセンタービルだ。

ワールドトレードセンターに加盟するには、それを象徴する高層ビル(?)を建てるというルールがあった。だから高層階に「大阪ワールドトレードセンタークラブ」なる機関も存在する。

完成したのは阪神淡路大震災の年。地震の衝撃で、作業用手押し車が10メートル近く動いた軌跡があったと聞いた。もちろんビル自体は問題なかったが、壁紙が一部破損したりして、建物の受け渡し前だったため建設請負会社がそれらを補修した。

しかし、貿易関連企業が集積する貿易センターになることはなかった。空き室を埋めるため、大阪市港湾局やその外郭団体が、そして建設局…と、中之島本庁舎から出ていた部局がこのWTCに集積。第二の大阪市庁舎といわれている。

それを大阪府は100億円以下で購入した。しかも、大阪市による咲洲地区活性化対策をつけて。

WTCから追い出された大阪市の店子たちはATCに移るらしい。

…ATCも貿易拠点機能を集積した施設として、経済局がつくったものだ。当時の”やる気”は外壁の屏風アートが語っている。この巨大屏風アートは堺屋太一氏プロデュース「大阪の四季」(だったと思う)。

ATCは当初、北側のITM棟(International Trade Mart)はそれらしい店舗で構成されていた。ここは、展示商品に関税がかからない保税地区で、アジア-日本の貿易商品を展示できるからだ。しかし、一つぬけ二つ抜け…で、バブル経済崩壊以前にすでに今の一般店舗と、経済局の外郭団体オフィスになってしまった。

大阪はこれからどうなるのか、どんなまちができるのか…と期待してよく取材していたから、今も覚えている。屏風アートのお披露目も盛大で、わが母校の先輩、堺屋さんも嬉しそうだった。

55階にはガラスがはめこまれる前の養生ネットだけのときに、現場調査で行ったこともある。あーー恐かった。

恐い思いは、15年後に「責任者不在」のこんな恐さに変わってしまった。

国立 コクリツ こくりつ 中途半端な都市の住民は損?

2010 年 2 月 1 日 月曜日

1月中旬に東京へ3泊4日で行った。仕事ではなく萩原健一氏のトーク&ミニライブを見るためだ。

2日目の昼間に「マザーテレサ生誕100年記念 映画祭」を恵比寿に見に行き2本で2200円也。最後の日は夕刻の約束まで銀座あたりをブラブラ。

で、目に飛び込んだのが東京国立フィルムセンター。全く知らなかったのでとにかく入ってみた。なにも見ずに帰るのもケッタクソ悪いと、上映スケジュールを見たら、ちょうど大島渚作品を集中的に上映、ちょうど「日本の夜と霧」という映画があと20分程度ではじまるので見ることにした。

「1000円はとられるだろう」と1枚求めると「500円です」。安い!嬉しい!シニアや学生は300円だそうな。

大ホールにはいるとシニアが多く、客入りは6割ぐらいか。

この作品は昭和35年の制作で、テーマは安保闘争。封切りから4日で上映が打ち切られたらしい。長回しが政治論議のシーンを構成していた。

見て良かったのですよ、確かに。この作品は知らなかったし、安保の頃の世情も少しはわかったし。国立だからこそ500円で貴重な作品を見ることが出来るのだろう。しかも八重洲の近くという至便な立地だ。

それにしても東京はなんと「国立」の多いところか。「国立」とつく文化施設の●パーセントは東京にある。圧倒的なこの数字を見ると、国民なら首都に住まなければ恩恵には浴せないということか。確かに1980年代以降、「国土の均衡ある発展」の名の下に、公共事業費が地方に配分され、社会資本は地方圏で拡充され、いまや一人あたりの社会資本ストックは地方が多くなった。一位は島根県で1000万円、あと過疎といわれる県が続く。都市部の府県はみな低く、その半分に満たない。東京は400万円、大阪は380万円、もっとも低いのが埼玉県の300万円だ(内閣府「日本の社会資本」)。

あ~あほらし。

大阪のような中途半端な都市に住むのは、国民として賢い選択ではないということなのね。

大阪でも珍しい映画を都心でいつでも500円で見たいわい。

救命ボート思想

2009 年 12 月 24 日 木曜日

先日、山折哲雄先生に取材した。「今、いちばん考えておられることを話してください」と依頼した。いちばん言いたいことを発信してもらいたいし、インタビュアーとしてはズボラもできる。(^-^)

「サポート・支援・ケア、サポート・支援・ケア--これを救命ボート思想」というらしい。この思想の原型は旧約聖書の冒頭、ノアの箱船。ノア一族だけが大洪水で生き延びる。生き延びるということは、生き残れなかった人がいたわけで、犠牲の裏返しだ。犠牲を前提にした”生き残り戦略”が、ユダヤ・キリスト教、アングロサクソン文明の原理とのこと。

一方、「大災害に襲われたら、少数は生き残る可能性があるとしても、多くの人間とともに運命を平等に甘受しよう、という“無常戦略”が本来のアジア的価値観」。私の価値観もまさにそれだ。しかし、「本来の」ということは、それがなくなってきたということだ。

「脳死が人の死」となったり、別腹をかりて出産するのが“当然の権利”になっていたり・・・少なくとも今の日本人は、本来のアジア的価値観を逸脱している。私は臓器移植の意志カードを持っているが、「臓器は提供しない」を表明するためだ。死んでから身体をこねくり回されるのが嫌だからではない。確かに誰かの生命存続に寄与することはいいことに違いない。しかし自然淘汰という視点からは、先進国の人間だけ、もっと言えばお金を払える人だけが生き延びることを享受できるのが、不自然と思うからだ。「日本の救命ボート思想はアングロサクソンの生き残り戦略とは異なる」ということだが、今や多くの日本人が自分だけ生き残りたいと思っている。

あなたは、生き残りたいですか?