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‘東日本大震災’ カテゴリーのアーカイブ

誰のために出版する?
『土木学会創立100周年記念 東日本大震災~3.11あの日を忘れないでほしい~』

2013 年 4 月 11 日 木曜日

土木学会が2年の歳月をかけて取材してまとめた『東日本大震災~3.11あの日を忘れないでほしい~ The Great East Japan Earthquake ~We will never forget 3.11~』が出版されたと、著者のひとりで阪神高速につとめるfacebook友人から連絡をもらった。

発災直後の4月からほぼ毎月のように被災地に出向き、岩手県久慈市から福島県いわき市までと千葉県を含め42の被災自治体職員延べ152人を取材したという。

で、アマゾンで購入しようと探したら、おまへん。
へぇ~、流通ルートは土木学会のみだ。
しかも、3990円(会員は3600円)と高い!

ものすごい取材費と労力を投入したに違いない(うらやましい・・・)。しかも、「土木学会創立100周年記念」の出版物らしい。
いったい誰のために出版するのか?誰に読んでほしいのか?
どうせ大赤字(だろう)の事業なのだから、もっと安い価格設定にして広く流通させるべきだ。

--友人によると、アマゾンでも買えるようにと本部と交渉したがダメだったとのこと。

何をか言わんや。

http://www.jsce.or.jp/publication/detail/detail2662.htm

地震考古学

2013 年 2 月 5 日 火曜日

facebookで地震考古学の講演を聞いたと書いたら、どんなんか教えろとリクエストをもらった。

ということで、
地震考古学の提唱者・寒川旭氏が、今年1月16日に大阪で開催された「防災とボランティア週間」講演会で講演された内容を勝手にまとめてみた。

 

日本全国の遺跡から、記録に残る大地震の隙間を定間隔で補うように、大地震の発生痕跡がぞくぞくと発見されている。

日本列島で発生した過去の大地震は、文字記録から情報を得ていた。

「日本書紀」天武十三年条(684)では、諸国で甚大な被害が発生して道後温泉が出なくなった。「日本三大実録」では、仁和3(887)年7月30日に五畿七道諸国を揺るがす地震が、貞観11(869)年5月26日夜に陸奥国で大地震が発生して津波が多賀城下まで押し寄せたと記録されている。

まとめると、南海地震は684年(白鳳地震M8.4)、887年(仁和地震M8.6)、1099年(康和地震M8.2:2年後に永長地震M8.4)、1361年(正平地震)、1605年(慶長地震M7.9:3つの地震が連動)、1707年(宝永地震M8.6:3つの地震が連動)、1854年(安政地震:安政東海地震M8.4の32時間後に安政南海地震M8.4)、1946年(昭和南海地震M8.0:2年前に東南海地震M8.0)と発生してきた。このうち、684年、887年の南海地震と連動する東海地震は残存する記録にはなかった。また、1498年の東海地震(明応地震M8.6)に連動した南海地震、1099年から1361年の間に巨大地震が発生した記録もなかった。

しかし、684年の南海地震に連動したと考えられる東海地震は、静岡県や愛知県、三重県でその痕跡が、1498年の東海地震に連動したと考えられる南海地震の痕跡も高知県四万十市アゾマ遺跡から発見された。また、1099年から1361年の間は東海・南海地震の空白期だったが、那智勝浦町の川関遺跡で1200年代当初の液状化の地震痕が発見された。

南海トラフ地震年表

西暦表記は文献記録に残る地震、●は遺跡から痕跡が発掘された地震

つまり、東海地震と南海地震は同時あるいは連動して約150年間隔で発生すると考えられる。

一方、活断層による地震は東海・南海地震(南海トラフの巨大地震)が発生する前後に集中して発生している。

818年から仁和地震までの70年間には、貞観地震をはじめ埼玉、秋田、長野、伊豆、山形、越後越中、播磨、関東南部、出雲で大地震が起こった。伏見城が大破した1596年伏見地震、1586年の天正地震などは1605年の慶長地震期のもの。1944年と1946年の昭和南海地震、東南海地震期(約60年間)には関東大震災や濃尾地震が起きている。

9世紀の地震活動期に発生した大地震

19世紀末から20世紀前半の地震活動期に発生した大地震

また歴史的に見ると大地震は時代の変わり目に発生しているように思われる。

日本は1964年の新潟地震から地震の活動期に入ったと考えられ、南海トラフの巨大地震発生の「予定日」以降、どんな日本になるのだろうか。

★ちなみに、地震を「なまず」と記録されている最古の物は、豊臣秀吉の手紙だそうだ。
その手紙には「京都で伏見城をつくるが、なまず対策が大切だ」と、書かれているとのこと。

使命感

2012 年 12 月 9 日 日曜日

「平成24年度人事院総裁賞受賞者を天皇皇后両陛下が御接見になられることが公表されました。御接見は、来る12月10日午後3時から皇居において賜る予定です。
また、御接見に先立ちまして、同日午前11時15分から明治記念館(東京都港区)において、人事院主催により人事院総裁賞授与式を開催いたします。」

「人事院総裁賞」受賞職域グループ
・東北地方整備局「くしの歯作戦啓開チーム」・「航路啓開チーム」
・東京航空局仙台空港事務所

彼らの使命感に対するご褒美は、こんな形で現れた。

まだまだ知られていない、国交省の記録。
道路チームは「くしの歯作戦」で少し知られているとはいうものの、ほんの一部の人だけだ。
ましてや、港湾チーム、空港チームは、皆無と言ってもいいだろう。

この受賞がしっかりと全国ニュースとして取り上げられ、多くの国民の知るところとなることを祈る。

■「くしの歯作戦啓開チーム」・「航路啓開チーム」受賞理由

http://www.mlit.go.jp/common/000231872.pdf

■仙台空港復旧チーム 受賞理由

http://www.mlit.go.jp/common/000231873.pdf

追伸:
徳山さま!みんなの使命感があわさって、すごいパワーですごい仕事をされました。
その一部を世間に紹介する機会をいただいたことを、心から感謝します。

役所が一冊の本を買うということ。

2012 年 9 月 29 日 土曜日

過日、兵庫県の河川整備課から「東日本大震災 語られなかった国交省の記録」の直売の注文書を受け取った。出版社からまわってきたものだ。

郵便局の振り込み書(出版社あて)を同封して一冊をメール便で送った。
そうすると、請求書と納品書が必要だと、いってきた。しかも、銀行振り込みとのこと。
出版社には電話で伝えたらしいが、申込書には何も書かれていなかったし、出版社からはたんにファクスが来ただけだった。

仕方がないので、わが社でそれらの書類をつくり、送った。

こんどは、わが社に電話があった。

「債権者登録の書類をつくって送れ」という。
「はじめに必要なことをすべていわずに、後から”これ、出せ、あれ出せ”と言うな。
もう、結構ですので、本を送り返してください。
本は書店でご購入ください」--思わず、言ってしまった。

NEXCOや他の役所、某民間企業も請求書や納品書を発行するよう、いわれたが、
債権者登録せよなど、はじめて。
しかも、「いっぺんに、言わんかい!」

で、送ってきたのが、これ。

職員が本を購入して、領収書処理をするなど、フレキシブルにやらんかい!

先方が書類をつくって、押印のみとしてきただけ、ましか(;へ:)

 

まちづくりの助っ人、復興まちづくりは他人事か?

2012 年 9 月 20 日 木曜日

復興計画づくりや住民の合意形成を進めるため、多くの学者が被災地に入っている。
たまたま、そういう人たちの集まりに参加した。

みな一様に、復興まちづくりが進んでいないと、言っていた。
石巻市は24億円の予算で計画策定をコンサルタント会社に発注するらしい。住民合意を進めることなく、まちの復興計画 だけが進められると、彼らは一様に危惧していた。うがった見方をすればバカにしているようにも見えた。やはり「他人事」なのだ。

危惧するだけでいいのか?
住民合意を置き去りにした復興計画なぞ、絵に描いた餅だ。絵に描いた餅に支払うコンサルタントフィーは19兆円の一部、デフレにあえぐ国民の血税だ。しかも、まちづくりが停滞すれば、ますます住民の心は折れてしまう。自宅再建をと思っていた人は災害公営住宅にしようと思うようになるかも知れないし、あきらめてその地を出ていく人も増えるだろう。
専門家として被災市町村の各地域に入って、復興まちづくりをサポートしているのなら、腹をくくってアドバイスすべきだ。
大震災という危機にある被災地を支援する以上は「わが事」として対峙するのが、人の道ではないか。

地域にしっかり入り込んでまちづくりを進め、しんどい目をしている学者さんらはいるに違いないし、先の会合でバカにしているように見えた人たちも、きっとがんばったこともあるのかも知れない。
しかし、腹をくくって被災地に寄り添おうという強い意志を感じることはできなかった。

会合を終える頃に降り出した雨は、被災地の人々の涙のように思えた。

2012年8月ふたたび東北へ
再会 ヤミ屋軍団

2012 年 9 月 6 日 木曜日

7月に上辞した「東日本大震災 語られなかった国交省の記録」。
取材、情報提供、原稿チェック、そしてPRと200パーセントの協力をしてくださった国交省東北地整局の池口正晃企画調整官。陰で支えてくださった徳山日出男局長、局長率いるヤミ屋軍団との再会の機会は30日だった。

実は、徳山局長とは昨年6月に15分ぐらい挨拶しただけ。文中の徳山局長の発言は、記録に残っていたものと、挨拶のときに交わした言葉をめいっぱい使って書いた。
海のものとも山のものとも分からない闖入者に、池口さんは十分な時間をとってくださったし、キーパーソンも次々と自室に呼び込んでは話しを聞かせてくださった。そのうえ、局長に挨拶する機会をつくってくださった。

その徳山さんから記念品をもらった。
東北地整局の災害支援を上手くまとめたA5版の冊子に小さな袋が二つ。
袋の中味は、一つは大震災でも崩れなかった阿武隈川の堤防の砂がはいった小さな小さなコルク瓶。もう一つは国道45号に掛かる二十一浜橋(気仙沼市)のコンクリート片。掛けられて40年が経つこの橋は、道路の取り付け部こそ津波にごっそりえぐり取られたが、橋16.6メートルは無事だった。コンクリート片はこの橋のウイング部のものだから、量は限られている。どちらも財布に入れてお守りになる大きさだ。
落ちない、崩れない・・・受験生に喜ばれるだろう。いや、今なら国会議員か(笑)。

徳山日出男局長から記念品を頂戴する

いただいた記念品

ともかく、執筆を支えてくださった人たちに再会できた。
池口さんは、講演などの折に本をPRしてくださっているし、徳山局長は土木学会のメールマガジン創刊号に載せるようにも、取り計らってくださった。きっと知らないところで、いっぱいPRしてくださっているに違いない。
この頃は、本をともにつくった仲間(と言えば失礼だが)だと、ますます思うようになった。東北地整局の人々だけでなく、近畿地整局の人々もだ。名前が出ている人だけに限らない…。

この本を書く機会を与えられ、そして再会の機会を与えられたことは、誠に有り難い。

もう、落ち込まないし、心が崩れないようになろう。

2012年8月ふたたび東北へ
末の松山波越さじ

2012 年 9 月 4 日 火曜日

去年、東北を取材で回ったとき、手土産にしたのは「貞観11年陸奥府城の震動洪溢」(吉田東伍著)復刻版コピーと神宗の鰹でんぶだった。

鰹でんぶはさておき、「貞観11年・・・」は明治39(1906)年に発表された、わが国初の貞観地震・津波についての学術論文だ。
「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは」に着目し、多賀城・八幡の地とし、貞観地震でも津波が達していなかった・・・とした。

http://wind.ap.teacup.com/togo/100.html

ということで、ぜひ見ておきたかった「末の松山」に行った。

住宅街・八幡にある宝国寺の裏手にそれらしき松の木が遠くからでも見えた。
松をめざしていたら、すぐ目前に「沖の石」を発見。
「わが袖はしほひに見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾くまもなし」の沖の石らしい。
かつてはここまで海だったのか、今は小さな小さな池の中にあった。

迷い込んだ道でばったり出会った「沖の石」

「沖の石」からわずか数十メートルの坂の上に、二つの大きな松があった。
住宅が密集していて、引きの写真が撮れない。

「末の松山」

「末の松山」から海岸方向にパン

「末の松山」は東日本大震災でも波は越さなかった。

風水害は、かつて起こったところにはまたいつか襲来する。
大震災は、歴史を知り地理を知り、土地の成り立ちを知ることの重さを、日本人に覚醒させたのだから、もう繰り返してはならない。

東北 2012年8月
ふたたび東北へ--NPO地域デザイン研究会で

2012 年 9 月 3 日 月曜日

8月30日、一年ぶりに仙台空港に降りた。

堤防がくずれなかった阿武隈川と亘理町の海岸

堤防がくずれなかった阿武隈川と亘理町の海岸

所属するNPO地域デザイン研究会が、今年の「現地シンポジウム」を東北被災地としたからだ。「現地シンポ」といっても、キーパーソンに現地を見ながら概要等を説明してもらい、意見交換するもので、半分は会員の親睦。なぜ復興が進んでいないのか、いま被災地はどうなっているのか--を知り、学ぶのが目的だ。

もちろん、私ともう一人を除き、参加者は被災地を初めて訪れる人ばかり。東松島市に義捐金を渡して、夜は闇屋のオヤジさんたちと飲むために、他のメンバーより一日早く仙台に来た。

まずは東松島市に行った。
義捐金は、8月末までの本の直販分16万円と、出版の会の残金をあわせて184,800円 。
この日は阿部市長が上京、副市長は他市町に人材ハンティングに行っているため、対応してくださったのは復興政策部の方々だ。
業務量が膨大で職員も足りないと大忙しの市役所で、邪魔してはならないと思いつつ、ついつい復興状況について聞き、30分ほど時間を奪ってしまった・・・。
彼らは「やっぱり人です。復興庁やURの人は熱心にやってくれるので、進んでいます」とのことだった。

浸水している野蒜地区を視察場所として薦められ、素直に従った。

東松島市野蒜~東名

集団移転する野蒜地区

仙石線の野蒜駅

非居住地区に含まれる仙石線の野蒜駅

住めなくなった土地の買い取り価格が決まらねば、集団移転は前に進まないが、帰阪後に阿部市長から電話をいただき、それらの課題をクリアしたと聞いた。

日刊建設工業新聞に紹介記事

2012 年 8 月 4 日 土曜日

わたしを「姫ボス」と呼んでくださる「彦G」(田中輝彦さん)の紹介で、8月3日の日刊建設工業新聞で著書を紹介していただいた。
彦Gは、子どもに土木のおもしろさを伝え次代のcivil engineerを育成することに強い使命感を持ち、橋梁コンテストの指導をはじめ、構造力学に通じる数多くの実験を提案したり、さらには地震の揺れとその制御技術を実験できる「ゆらり」という模型も考案しておられる。

有り難い支援だ。多くの方の厚意と支援を得て、生かされている。
・・・つくづく、有り難い。

続々と・・・ありがたい注文。

2012 年 7 月 6 日 金曜日

はじめての著書がようやく完成し、6月29日に東京の製本会社から100冊が届いた。
実はこの本は”押しかけ出版”なので、著者は500冊を買い取るという約束だ。残りの400冊は直接購入予約者に出版社から送ってもらう。

昼前に届いたので、取材した方々や情報提供など協力してくださった方々に75冊を送った。

事前予約はほぼ300冊。
その後もちょくちょくと注文をいただき、なんとか著者ノルマは達成できそうだ。

購入くださった方々には、それぞれの思いがある。
国交省の支援活動をいろんな人に伝えたい。
災害エスノグラフィーの一助に・・・。
そして、購入して応援してやろうという温かい気持ち。

ありがたい。
まことに、ありがたい。

メールで感想などいただくと、何度も何度も読み返す。
昨日は大船渡市の戸田市長からお礼の電話を頂戴した。
東松島市の阿部市長とも少しお話しした。 

しかし、一般の人々に読んでもらうのが本書のミッション。
書店展開はこれからだが、なんとか人々の目にとまるよう、働きかけねばならない。
初版2000部で終わらせないよう、極力PRにつとめねばならない。

よ~し、決めた。

初版分は無理ですが、増刷分の印税(10%)を義捐金にします!

みなさま、書店でご予約くださいませ!