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‘土木(築土構木)’ カテゴリーのアーカイブ

豪雨ニュースでやめてほしいこと

2014 年 9 月 24 日 水曜日

「豪雨で道路が浸水しました。」

ニュース映像は決まって、浸水した道路を走り抜ける車を映し出す。水しぶきが迫力あるし、車によって浸水深もわかるから、浸水被害の大きさを見せるには効果的な映像だ。

少しの浸水深ならよいが、マフラーに届くほど浸水した道路では、このような映像は使うべきではない。

もし、視聴者がそんな場面に遭遇したら、迂回路を考えず「このぐらいならいけるだろう」と、ニュースで見た車と同様に深い水の中を突っ走るだろう。

自動車は水に弱い。マフラーや吸気口に水が入ると、エンジンが止まる。ドアは水圧で開かない・・・。車ごと水没して死亡する事故は残念ながら後を絶たない。

 

ディレクターは分かりやすい映像を選ぶのはもっともだが、少なくとも災害についてはテレビの影響力を再認識してもらいたいと、切望する。

 

広島土砂災害
ネコがひっかいたような谷筋の爪痕

2014 年 9 月 2 日 火曜日

土石流のあった山々では81の谷筋で土石流、37箇所で崖崩れが発生した(27日時点)。山は傷だらけ。伊勢湾台風で土砂災害を受けた木津川上流域の山々について語ってくれた老人らが、「ネコがひっかいた跡のよう」と言っていたのと同じ光景だ。

 

被害が大きかった八木3丁目(県営住宅)への道は極めて急な坂道だ。ちょっと雨が降っただけでも車がスリップしそう。その急な坂道が長く続き、住宅が広がる。高いから見晴らしは抜群だ。

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八木8丁目

坂道は車が相互通行できる道幅はなんとかあるものの、交差する横軸の道は1台しか通れない。土砂撤去のダンプカーを裁くために交通整理していた。もちろん、ほかの車が入り込む余地はない。

 

のぼっていくと(歩くという表現ではない)、調査を終えて帰るTec-Forceと出くわした。

「山が動いている」という住民からの通報を受けて、現地確認に来たが、幸い変状はなかった。
土砂の変動は油断できないため、いまも専門家Tec-Forceが中国地整局に常駐している。

住民が彼らを呼び止め、土砂撤去や独居老人の住宅撤去について質問。Tec-Force隊員は丁寧に応えていた。「土木研究所」と書かれた制服を着ていても、住民にしてみれば“土砂撤去などなんでもやってくれる”国土交通省の職員だ。

Tec-Forceは経験者が求められる所以だ。

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広島豪雨災害
Tec-Force土砂撤去は民地も道路も

2014 年 8 月 31 日 日曜日

8月29日、広島豪雨災害の被災地へ日帰りで行った。

新幹線で90分程度。広島は近い。

 

国道45号沿いの緑井6丁目のパチンコ店の広い駐車場が、国交省、自衛隊、警察、消防の現地本部になっていた。そこから上を見ると、オレンジ色の屋根の県営住宅が無残な姿を見せていた。

目の前にJR可部線の軌道。再開はもうすぐらしく、レールが姿を現わしていた。

県営住宅への生活道路はすでに砂利と砂で敷き詰められ、長靴は要らない。さらに土砂を撤去して道路らしくするのはTec-Forceの仕事だ。中腹まで続く道路に工事車両が乗り入れられるようにするのが、彼らの使命という。高齢の住民がTec隊員にずっとしゃべりかけていた。

土砂撤去については、国交省が広島市からの要請を受けて全体の3分の1を担当している。26日からはじめたが、上流や水の道がすっかり変わってしまったところなど、難儀なところばかり。道路も民家の庭も区別などできないから、担当エリア内の土や岩だけでなく自動車もすべて撤去していく。

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国道54号から

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歩きやすくなった生活道路

 

緑井の八木用水はすっかり埋まっていた。埋まるどころか、盛り上がっているところもある。細かい土がしっかりと水路につまり、バキュームでも人手でも時間がかかる。

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水の道がすっかり変わってしまい、道路が川になっているところは至るところにあるらしいが、緑井8丁目では“川”に12の小橋がかけられていた。この橋がなければ住民は自宅にアプローチできない。川底になってしまった元の道路は破壊され、残ったマンホールで元の道路の高さがわかった。

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元の位置に置き去りにされたマンホールは1メートル近くうきあがって見える

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仮の小橋

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さて、緑井8丁目の“川”と化した道路をどうするか――近畿と九州のTec-Force、地元広島国道事務所Tec-Force、コンサルタントらが現場で復旧方法をどう進めるかの協議をはじめた。仮排水路をどのように設置するか--みんな技術屋の顔だ。

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30日19時現在で土砂撤去の進捗率は全体で49%。

http://www.cgr.mlit.go.jp/kisha/2014aug/140831top.pdf

堺泉北港堺2区基幹的広域防災拠点
「そのとき」をリアルに想像しよう

2014 年 8 月 11 日 月曜日

フォークリフト、玉掛け、バックホウ(小型車両系建設機械)、固定式クレーン(5t未満)、小型移動式クレーン(同)、陸上特殊無線技士(3級)免許――山田昭光国土交通省近畿圏臨海防災センター長がここに赴任してから取得した免許や技能だ。

同センター職員は「キーボードから重機レバーに持ち替え」なければ務まらない。

 

基幹的広域防災拠点の機能は下記の5つだ。

●救援物資の中継・分配機能

●広域支援部隊等の集結地・ベースキャンプ機能

●応急復旧用資機材の備蓄機能

●海上輸送支援機能

●災害医療支援機能

 

つまり、京阪神の災害支援の人とモノのハブだ。だから、広い。面積は「海とのふれあい広場」を含めた27.9ヘクタール。災害対応では何もない広場が有効なのは東日本大震災や様々な災害で明らか。ここは大災害時、救援の人と物資の中継拠点だから、なーーんにもない広い緑地こそふさわしい。埋め立て地ゆえ地盤に不安はあるが、敷板で補完するという。ヘリポートは7基駐められる広さだ。

建物は小ぶり(?)の支援施設棟と車庫、テント製の資材庫などがあるだけ。

支援施設棟は3階建てで、一日約5000人分の飲料をまかなえる海水淡水化装置、自家発電機と10日から1カ月程度の電力供給ができる9950リットルの重油、投光器70台を持ち、仮眠室もある。連絡調整会議の場となる会議室は至ってシンプルで、ライブ映像を映し出す3台のモニターがあるのみ。指揮系統は内閣府の緊急災害現地対策本部(大阪合同庁舎第4号館)のラインだ。建物はTP7.1メートル(OP5.8)までの浸水に耐える。7.1メートルのうち1.5メートルを担う止水板は、東日本大震災を受けて追加した。「想定外を想定(=無くすため)した」とのこと。

支援棟屋上から西を見る

支援棟屋上から西を見る

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大型テント倉庫と車庫には建機と支援物資が並ぶ。バックホウ1台、フォークリフト2台、土等を締固める振動コンパクタ2台、牽引式運搬車1台、点検用車両1台。敷鉄板48枚、23キロの軽量敷板約3000枚、パレット2700個、大型テント2張、ヘリポート用夜間照明一式。基幹的広域防災拠点の機能を発揮するには、職員がこれらを稼働させる技能を磨いておかねばならない。で、冒頭の免許や技能が必要となる。

 

さて、この拠点が稼働するのは震度6強以上で大津波警報が発令されたときだ。

そのとき、近畿地方整備局の港湾空港部職員のうち災害対策チーム70人がここに集結する。使命は24時間以内に機能させること。海上からの応援を受入れるのは、23年に整備された耐震強化岸壁だ。水深7.5メートル延長130メートル、5000トン(DWT)級船舶――海上保安庁の「せっつ」クラスに対応する。発災時は大量の海上浮遊物が発生するからちょっと心許ない規模だが、平常時にUSJ前の定期観光船発着場となっている浮体式防災基地も指令後約4~5時間(海上浮遊物などの障害物なしで算出)でここに曳航され、1000トン(DWT)級以下の小型貨物や人員輸送船の桟橋となって補完かる。わんさかやってくる自衛隊等の支援部隊などがここにベースキャンプをおく。支援物資3000トンの中継・分配拠点として荷さばきし、被災府県に送る。

 

ここでは、「津波防災の日」と定められた11月5日を基本に、センターが開設された24年から毎年、自衛隊、警察、海保等関係や建設業等、堺市や地元中学校、市民ら1000人以上が参加して大規模な合同訓練を実施している。

想定災害は南海トラフ巨大地震。火災消火や倒壊家屋からの救助、被害者の搬送、海上での救助、津波避難ビルへの避難、バイクによる災害情報収集、陸・海・空の手段を使った物資の搬入など、想定される多様な災害対応メニューを訓練する。24年の訓練を見たが、同時に多様な訓練があちこちで行われるので、地上からでは一端しか見ることはできなかった。

25年の合同訓練では防災啓発も視野に入れ、訓練終了後にヘリコプターやレスキュー機材、海上自衛隊掃海艇等の展示・見学や、日本赤十字社の救命講習等の体験学習なども行った。たんに見学ではなく「動いて」「覚えて」という体験型の防災訓練として継続していくという。

 

東日本大震災では、遠野市が自らの役割として想定したとおり、後方支援拠点の機能を果たしたし、道の駅やSAも応援物資やボランティアなど人と物の中継拠点として機能した。

この堺泉北港堺2区基幹的広域防災拠点がゼロ次拠点となり、府県や市町村などの地域防災拠点から被災地へ無駄なく速やかに応援・支援を届かせるためには、民間企業との連携も視野に入れなければならないし、関わるすべての機関が機能するためのオペレーションも、資材も足りないと、山田センター長。Xデイを考えると課題が尽きないのは、危機管理に欠かせない想像力の所以だ。

 

課題ついでに言うと、このセンターには職員の防災住宅がない。

えっ!危機管理に就く幹部や職員は防災住宅に住むのが、行政の基本のはずだが。かつて、東京都心の一等地に公務員専用住宅があるとメディアが非難したことがあったが、霞ヶ関に徒歩で行けるという条件なのだから都心にならざるを得ない。近畿圏臨海防災センターは堺浜の先っちょで、こちらは極めて交通の利便性が悪い。24時間職員は待機しているというものの、発災すればセンター長は自宅から駆けつけるのに何時間かかるだろう。

 

連動するかどうかは不明だが絶対に発生する南海トラフ地震。「その時」のために国はこうして着々と備えているが、実際のところわれわれはどうだろう。
「そのときは、もうしゃあない」「自分だけやないから、なんとかなる」というのが大方だ。

やはり「その時」を1度でもリアルに想像しておくべきだろう。

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土木学会12月号の「被災地からの発信」に寄稿して
被災経験からもっと学び、もっと情報共有化を

2013 年 12 月 4 日 水曜日

土木学会12月号の「被災地からの発信」に、「被災首長から学ぶ災害対応の知恵」を寄稿した。

地震活動期にある日本では、発災後の復旧・復興を迅速に効率的に進めるための”被災自治体の知恵袋”と言えるような情報集積・共有化が欠かせない。東日本大震災の被災市町村で、どのような情報・経験が共有化されたのか?あるいはされなかったのか?また、共有した情報がもたらした効果等を紹介することによって、被災自治体の知恵を共有化する仕組みづくりを進めるべきと訴えるのが目的だった。初動だけでなく、今日の復興期の課題やそれらに対する知恵--たとえ小さくても--市町村間できちんと共有してほしいという願いもあった。

取材に行ったのは今年5月、対象は被災市町村首長7人。残念ながら、復興期の今の知恵を情報収集するには及ばなかった。

取材では、すでに知られている「がれき処理」や「住民への情報伝達」やその他の対応だけにとどまらず、初動期の心情を語ってくれた首長もいた。住民や部下を多数死なせてしまった責任感と喪失感、どんどん迫られる決断。その重責と孤独感で食事も喉を通らなかったのは想像に難くない。しかも、彼らも被災者だ。

彼らが味わったとてつもない焦燥感や孤独感がほとんど伝えられていないことに気づいた。

残念ながら、当時のマスコミは記者発表で死者や不明者などの被害発表をたんに聞くのみで、首長の心境を取材したのはニューヨークタイムズのマーティン・ファクラー(『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』著者)だけだった。

この寄稿を通じて、被災首長の知恵の共有化を進める動きが加速することを願う一方で、彼らが何をどう感じ、どうしたのか、もっと掘り下げてみたいと思うようになった。それは<次>に備える全国1742市町村長の災害対応のバイブルになるだけでなく、企業経営の危機管理にも通じるに違いない。

※ぼんやりしたタイトルです・・・。

 

土木技術者の精神性

2013 年 9 月 7 日 土曜日

土木学会全国大会なるものを視察した。

9月4日から6日までの3日間に延べ20000人が今年の会場・日本大学生産工学部にやって来た。

参加費10000円(事前、当日は12000円、非会員は20000円)を払った人は約4000人だったという。

力学系、水系、土系、計画・交通系、材料系、事業計画や保全、マネジメント系、環境系の7部門と、これらの部門を横断的に関連した共通セッションが13テーマ(教育や地下空間利用など)で、あわせて2695論文が発表された。ほかに27のテーマで研究討論会が開催され、基調講演会・特別講演会、全体討論会に加えて、来年の土木学会100周年を記念する討論会もあった。とにかく、ぎょうさん、あちこちで同時並行に講演会が行われた。

土木学会には、京大土木教室100周年シンポジウムを手伝ったときに「入っておいたほうが情報も取りやすい」とのアドバイスで入会。以来、やめる理由も続ける特段の理由もないまま継続してきた。当方のような門外漢会員は希少種、約36000人の会員は産官学の土木オヤジばかりだ。

 

100周年記念討論会で、前々から気になっていたこと、土木技術者たるものへの思いを代弁してくれる発言にいくつか出くわした。

 

「できない」とか「技術では限界がある」と

きちんと言える人間性・精神性を持っていなければならない。

 

「”そこまでできません”とは言えない」とか、伝えるべきことを100%伝えずにお茶を濁した話しなどは、今まで色んな人たちから聞いてきた。

その度に「なんでや!」と問い、

「そんなん言うたら、次に何を言われるかわかれへん」などの不甲斐ない答えが返ってくることがあった。

「理不尽な要請やケッタイな言いがかりをつけられても、きちんと誠実に対応すればなんということもないはず」・・・反論しても、悲しいかな、当方は現場を知らない。魑魅魍魎がうずまく世界も知らないから、そこまでしか言えなかった。

しかし、誠実に正確な情報を伝えることは、すべての基本だ。それが公共に関することであればなおさらである。ヤカラの住民がまともな人たちに駆逐される場面も見てきた。「できない」と言い切ることができる人間性・精神性が求められるのだ。

 

藤井聡教授の叫び(?)の一端を以下に紹介する。

「土木技術者はambivalent(アンビバレント)な絶対矛盾を乗り越える宿命を負っている。

土木技術者は(どんな驚異を内在しているかわからない自然に対して働きかける技術に)限界があるとわかっているはず(であり、限界があることを正確に伝えねばならない)。アンチテーゼからシンテーゼに行こうとするときには、根性、気合い、精神の力量がないとできない。従って土木技術者には、ものすごい”どてらい奴”しかなれない。土木技術者にはこういう意味が込められている。」

現役土木オヤジたち、

これから土木をめざす若者よ、ぜひ”どてらい奴”になろう。