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「慰安婦問題」決着で気になること
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・有光弘和

2016 年 1 月 4 日

年末ぎりぎりに、日韓で最大の懸案だった「従軍慰安婦問題」が政治決着した。この問題は政治問題であるとともに、女性問題でもある。もしも、日本大使館前に建てられた女性像に対して「あれは、日本の兵士を慕って待ち続ける乙女の姿です」とでも説明しようものなら、非難の声がどこから、どれほど飛んでくるかわからない。女性問題は広く「差別」の問題でもあるから、発言者の心情や立場が厳しく問われることになる。「像」だけを見て、その印象を勝手に述べることは「不穏当発言」で、許されない。「なぜ裸足で、肩に鳥がとまっているのか」。解釈は、設置した人たちの胸のうちにしかない。

膨れ上がった「連行」される人数

ウェブ百科事典Wikipedia によると、朝鮮人慰安婦問題を言い始めた故吉田清治には、『朝鮮人慰安婦と日本人』(人物往来社、1977) と『私の戦争犯罪』(三一書房、1983) の二つの著書がある。そして、朝日新聞の最初の報道は1982年9月の吉田の講演を記事にしたものだ。“講演記録”とも言えるこの記事は、大阪版では大きく掲載されたものの、東京版には一行も報道されなかった。それが全国ニュースとして踊りだすのは9年後の1991年で、翌年はNYタイムス、赤旗を含む各新聞社の報道合戦の様相となった。その間に、連行された朝鮮人の数は済州島での200人から「多くて3000人」、「男女6000人」に膨れ上がった。

戦後70年の今になれば、“生き証人”は少ない。日本国内をはじめ北は満州、南はニューギニアに広がった日本陸軍の「慰安所」の1カ所平均の「慰安婦」数は約10人、数百カ所あったとすれば数千人という計算は可能だ。しかし、その場合、一番多かったのは日本人。次いで現地人。朝鮮人、台湾人、フィリピン人がそれに次ぐと想定されている。

エリート「挺身隊」を「慰安婦」と混同

韓国人だけが多いわけではないのに、なぜ問題化したか。カギの一つは「挺身隊」という言葉にある。“総力戦”となった第二次大戦の最中、各国は女子労働力に注目し、米英では女性を軍人にした。王室のエリザベスは地方の義勇軍に予備入隊した。日本は学徒動員で男子学生を軍人にするとともに「挺身隊」として軍需工場の労働者にした。女子学生も「女子挺身隊」にすることになり、最初に出来たのは皇族にゆかりのある学習院女子同窓生による「常磐会勤労挺身隊」。山脇高女同窓会のレンズ工場への入社が女子挺身隊の派遣第一号とされている。女性は軍人にはならなかったが、動員された。日本統治下にあった朝鮮でも事情は類似だが、女子「挺身隊」結成は遅れた。「農業挺身隊」「漁業挺身隊」などの時期を経て、政府主導で日本本土の紡績、ベアリング、戦闘機の工場へ「挺身隊」として派遣される女学生もいて、後に「慰安婦」と偽って証人として名乗りを挙げた人もいる。進学率の低かった時代、日本でも台湾でも朝鮮でも、未婚の女子学生たちは「エリート階層」の人だったと言っていいだろう。朝鮮半島では当時、「挺身隊に入ると、売春をさせられる」という流言があったという。

「北」をめぐる政治問題と在韓米軍

もう一つのカギは朝鮮戦争だ。在韓米軍の“慰安所”は「基地村」という形で運営され、2万人の女性がいたと推定されている。性病が発生すると、米兵には相手の女性を特定できない場合が多く、鉄格子のある「モンキーハウス」と呼ばれた施設に「村」の多数が一斉に強制収容され、抗生物質が投与され続けたという。これらは商業行為として行われた「売春」の枠内に当てはまるかどうか。当時、慰安婦は「愛国者」と言われることもあり、軍のために強制的に“労働”するという意味から「挺身隊」と混同されやすい環境だったと言える。

そして、1991年、朝日新聞の誤報が登場する。9年前の吉田発言類似の記事に続いて、「女子挺身隊」の名で連行されたとする「元慰安婦」の証言を“スクープ”した。政治的には金丸訪朝団が日本と北朝鮮との国交回復を模索し、「よど号」ハイジャック事件、さらに今も尾を引く北朝鮮による拉致問題にマスコミが注目し始めた時期である。インタビューのお膳立てをしたのは、韓国挺身隊問題対策協議会(略称:挺対協)で、その女性幹部の娘が朝日の特派員の妻であることは今ではよく知られている。北朝鮮寄りの団体と言われる挺対協は「挺身隊」の問題でなく、「慰安婦」問題で裁判を起こしたが、この時から両者を混同することが20数年間、国際的“常識”となった。アメリカの歴史教科書で「性奴隷20万人」と書かれたという事態は、この混同があってこそ理解できる。朝鮮戦争に派兵された人の多いアメリカでなら「さもありなん」と常識化しやすいに違いない。

幅広い「差別」問題

今回の日韓の政治合意で、岸田外相は「安倍総理は、慰安婦としてあまた苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に心からお詫びと反省の気持ちを表明する」と語った。元慰安婦を支援するために韓国が設立する財団に10億円を拠出する。今、韓国で「元慰安婦」と確認できるのは50人を下回ったと言われる。割算すると1人当たり約2000万円。この金額では、北朝鮮、日本、台湾、フィリピン等に広がる「全て」を対象にすることはできまい。また、新たに名乗り出る人もほとんどないと推測できる。

なぜ、吉田清治は二冊もの本を書き、出版できたのか。以下は仮説・推論である。敗戦直後、日本には「カストリ雑誌」、「エログロ雑誌」と呼ばれた雑誌が多く書店の店頭を飾った。風俗文献雑誌『奇譚クラブ』もその一つと言えるが、掲載された代表的作品『家畜人ヤプー』の作者、沼正三は覆面作家として、永く名乗り出ることはなかった。作者の執筆動機は、学徒兵として外地にいて、「捕虜生活中、ある運命から白人女性に対して被虐的性感を抱くことを強制され、(中略)性的異常者として復員」した体験に基づく。これは女性兵士による「強制」と推察されるが、吉田は男性兵士の「集団的強制」を小説に描こうとしたと思える。沼の寄稿した出版社は「小説」として扱ったが、吉田の寄稿は「実話」を売り物にする出版社だった。そして、1970年代に入って、これらの作品が単行本として、出版、再版される、ちょっとしたブームがあった

記事になった吉田清治の講演会会場が「大阪市浪速区 浪速解放会館」だったことも象徴的に思える。日本人の「元慰安婦」を徹底的に探そうとすれば、日本国内では旧赤線地域、貧農の多い地域、同和地区、“在日”の居住者地区などに重点が置かれよう。女性差別に限らない、広い「差別」の問題を避けては通れない。そして、彼女たちは“歴史の闇”に消えていくのが幸せなのかもしれない。

(有光 弘和)

JRという超民間企業

2015 年 7 月 2 日

すべてを「公共交通で行く」 西国三十三箇所参りをはじめて2年。
JR西日本にはかなり貢献している。
自宅から天王寺や梅田に行くぶんには気づかなかったが、ICOKAが使えない路線がたくさんあるのだ。
先日行った和歌山線も、紀勢線もダメ。
おかげで、たんまりとチャージしたICカードの残高は減らず、財布の中身が減った。

ICカードを使えない駅は、いずれも駅員一人。改札口が複数あっても「○○の改札口へ」と、客に足を運ばせよる。せっかく駆け上がった階段を下り、ICカードの入場記録取り消し後は、また階段を上らねばならない。
えっ、辺鄙な駅ではないか・・・との声が聞こえてきそうだが、多くの人が往来する、紀三井寺(紀勢線)と粉河(和歌山線)だ。

JRはかつて日本国有鉄道だったよな・・・。全国をネットワークする鉄道として、わが国の公共交通の要だった。
土光臨調会長に「命を賭して」と要請された亀井正夫氏が分割民営化の道筋をつくりあげた7つの会社のうち6つは、国民の足を担う。分割民営化後は、体質はお役所にも拘わらず、せっせと利益を上げるべく、利潤追求だけはしっかり民間企業と化した。

収益の悪い路線は運行数を少なくする、または廃止。だからICカード改札機すら設置しないのだろう。
「運行しているだけでも有り難いと思え」という声が本社あたりから聞こえてきそうだ(誤解があるといけないので、現場の社員たちは顧客満足を向上させるべくソフト力を養っている)。赤字路線の利用者を増やすために、利便性を高めようという発想がまったく見えない。
阪神と近鉄が相互乗り入れして神戸-奈良間の需要を掘り起こし、かつ利用者の利便性を高めようとする企業としての使命感や、たま駅長による話題づくりで活性化する和歌山電鐵の努力や知恵なんぞ、感じられない。とくにJR西日本にはまったく感じられない。

おまけに、国鉄の赤字を、ヤニーズが支払うたばこ税で一部まかなってもらったにも拘わらず、JR西日本は喫煙者への恩返しどころか、喫煙者を排除している。
ヤニーズでないみなさま、JR東日本では駅前広場に喫煙スペースがちゃあんとあるのですよ!
野天であっても喫煙場所をつくるとなると、スペースを割かねばならない。掃除も定期的にしなければならないから、コストがかかる。
乗客にとって「乗らねばならない」のだから、とくに顧客満足を追求する必要もない・・・。こんな声を感じてしまうのは、私一人ではないだろう。

土光さんも亀井さんも、分割民営化しても公共交通としての使命感を持ち続けさせることは企図したはず。
尼崎の大事故、集団訴訟・・・企業体質を見直す機会を与えられているのに、その恵みを受け取らないのは、貧しい「意思」と思う。

選挙から見えたもの

2015 年 4 月 12 日

この春の統一地方選挙に少しだけ関わった。

ひとつは、中学校同級生の旦那君が市会議員から府会議員に挑戦するというもの。自民党府議の議席のなかった市からの出馬だ。街宣車と政連車に乗り、ウグイスした。
一軒家をそのまま使った選挙事務所は支援する人でいっぱい。中心はシニアの男性層。事務所の顔となる路面側のスペースは男性陣のみ。女性はみんな奥にいて、役割も「裏方」だ。高齢の人は炊き出し、それより若い者はウグイスなどの広報部隊だ。事務所には常に、男女あわせて少なくとも30人はいたから、選挙活動要員をふくめると、炊き出しは50人分以上だろう。まさしく自民党の伝統的な選挙スタイルだ。当然、男の世界で、それに疑問を投げる人もいないように感じた。

一方、大阪都構想は真っ向反対だが、政局の流れから「維新の党」に”なってしまった”県会議員候補に、エールを送った。たまたま町立駐車場について利用者の立場から改善点を町に送ったことから知り合いになった町会議員さんだ。元は町の土木職員だった人で、視野が広く勉強家。この人には、町長となってふぬけた王寺町を立て直して欲しかったが、それは叶わず、今回の立候補となった。
こちらの選挙事務所は、友人の事務所と全く様相が異なる。事務局長的役割をしていたのは、関東から奈良に送り込まれた維新の党の女性(前回参議院に立候補して落選)で、党本部からの助っ人も若い。事務所はこぢんまりとしていて、立ち寄る支持者は、党ではなく候補者個人を応援している人がほとんどのようだ。

2つの選挙活動のスタイルは異なるが、活動の大本も積極的支持者の大方も、男性だ。

「女性が輝く社会の実現」とウグイスしたが、この言葉の前に「男性の元で」と、潜在的に受け止めている人が多いのではなかろうか。

 

 

 

 

正月のつぶやき。

2015 年 1 月 3 日

NHK「ブラタモリ」が今年4月からレギュラー番組として帰ってくることを知り、楽しみに思いつつ正月3日の集中アンコール放送をみた。地形や土木への関心が高いタモリの視点や、地理や土木の知見がテーマになっていることを、嬉しく思う。同番組のファンが多いのは至極納得できる。

一方、まったく納得できないのは新語流行語大賞「ダメよ…」とそれを演っている女性お笑いコンビだ。「ダメよ…」を聞いたとき、森進一の歌詞を思い出した。昨年もそうだが、関東の悪しきギャグの見本だ。コンビは名前を「日本…」から「東京…」に変えていただきたい。

ギャグ以外を見ても、笑いのセンスが低い、悪い。喋り方、へんな大阪弁をつくるなど、低俗そのものだ。

こんなんを世の人々は評価しているのだろうか・・・と、ちょっとググってみた。「インパクト抜群のキャラクター」「グロかわいい魅力」「ネタの密度が濃い」。大賞を受けた「ダメよ…」は「最高にシュールな言葉」で、子どもに人気という。彼らの視聴率の稼ぎ力はふなっしーをしのぐという記事もあった。へえ~。

わが社の編集顧問曰く「森進一のパクリなら、”空を見上げりゃ空にある”と思ってたら”何もない春です”や」

文化度の高さが尊敬を集めている日本なのに、こんなんが日本の笑い文化として世界に発信されていいのか?新語流行語大賞を選ぶ側の認識や能力がこの程度ということか。

・・・そういえば、「現代用語の基礎知識」は間違いが多かったなぁ。

豪雨ニュースでやめてほしいこと

2014 年 9 月 24 日

「豪雨で道路が浸水しました。」

ニュース映像は決まって、浸水した道路を走り抜ける車を映し出す。水しぶきが迫力あるし、車によって浸水深もわかるから、浸水被害の大きさを見せるには効果的な映像だ。

少しの浸水深ならよいが、マフラーに届くほど浸水した道路では、このような映像は使うべきではない。

もし、視聴者がそんな場面に遭遇したら、迂回路を考えず「このぐらいならいけるだろう」と、ニュースで見た車と同様に深い水の中を突っ走るだろう。

自動車は水に弱い。マフラーや吸気口に水が入ると、エンジンが止まる。ドアは水圧で開かない・・・。車ごと水没して死亡する事故は残念ながら後を絶たない。

 

ディレクターは分かりやすい映像を選ぶのはもっともだが、少なくとも災害についてはテレビの影響力を再認識してもらいたいと、切望する。

 

広島土砂災害
ネコがひっかいたような谷筋の爪痕

2014 年 9 月 2 日

土石流のあった山々では81の谷筋で土石流、37箇所で崖崩れが発生した(27日時点)。山は傷だらけ。伊勢湾台風で土砂災害を受けた木津川上流域の山々について語ってくれた老人らが、「ネコがひっかいた跡のよう」と言っていたのと同じ光景だ。

 

被害が大きかった八木3丁目(県営住宅)への道は極めて急な坂道だ。ちょっと雨が降っただけでも車がスリップしそう。その急な坂道が長く続き、住宅が広がる。高いから見晴らしは抜群だ。

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八木8丁目

坂道は車が相互通行できる道幅はなんとかあるものの、交差する横軸の道は1台しか通れない。土砂撤去のダンプカーを裁くために交通整理していた。もちろん、ほかの車が入り込む余地はない。

 

のぼっていくと(歩くという表現ではない)、調査を終えて帰るTec-Forceと出くわした。

「山が動いている」という住民からの通報を受けて、現地確認に来たが、幸い変状はなかった。
土砂の変動は油断できないため、いまも専門家Tec-Forceが中国地整局に常駐している。

住民が彼らを呼び止め、土砂撤去や独居老人の住宅撤去について質問。Tec-Force隊員は丁寧に応えていた。「土木研究所」と書かれた制服を着ていても、住民にしてみれば“土砂撤去などなんでもやってくれる”国土交通省の職員だ。

Tec-Forceは経験者が求められる所以だ。

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広島豪雨災害
Tec-Force土砂撤去は民地も道路も

2014 年 8 月 31 日

8月29日、広島豪雨災害の被災地へ日帰りで行った。

新幹線で90分程度。広島は近い。

 

国道45号沿いの緑井6丁目のパチンコ店の広い駐車場が、国交省、自衛隊、警察、消防の現地本部になっていた。そこから上を見ると、オレンジ色の屋根の県営住宅が無残な姿を見せていた。

目の前にJR可部線の軌道。再開はもうすぐらしく、レールが姿を現わしていた。

県営住宅への生活道路はすでに砂利と砂で敷き詰められ、長靴は要らない。さらに土砂を撤去して道路らしくするのはTec-Forceの仕事だ。中腹まで続く道路に工事車両が乗り入れられるようにするのが、彼らの使命という。高齢の住民がTec隊員にずっとしゃべりかけていた。

土砂撤去については、国交省が広島市からの要請を受けて全体の3分の1を担当している。26日からはじめたが、上流や水の道がすっかり変わってしまったところなど、難儀なところばかり。道路も民家の庭も区別などできないから、担当エリア内の土や岩だけでなく自動車もすべて撤去していく。

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国道54号から

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歩きやすくなった生活道路

 

緑井の八木用水はすっかり埋まっていた。埋まるどころか、盛り上がっているところもある。細かい土がしっかりと水路につまり、バキュームでも人手でも時間がかかる。

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水の道がすっかり変わってしまい、道路が川になっているところは至るところにあるらしいが、緑井8丁目では“川”に12の小橋がかけられていた。この橋がなければ住民は自宅にアプローチできない。川底になってしまった元の道路は破壊され、残ったマンホールで元の道路の高さがわかった。

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元の位置に置き去りにされたマンホールは1メートル近くうきあがって見える

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仮の小橋

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さて、緑井8丁目の“川”と化した道路をどうするか――近畿と九州のTec-Force、地元広島国道事務所Tec-Force、コンサルタントらが現場で復旧方法をどう進めるかの協議をはじめた。仮排水路をどのように設置するか--みんな技術屋の顔だ。

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30日19時現在で土砂撤去の進捗率は全体で49%。

http://www.cgr.mlit.go.jp/kisha/2014aug/140831top.pdf

ますますはびこる!韓国式お辞儀
「花子とアン」でも!!!

2014 年 8 月 18 日

以前この欄で最近のけったいなお辞儀について書いたが、このごろは至るところにはびこっているではおまへんか!   今朝(8月18日)の連ドラ「花子とアン」を見て驚いた。元伯爵令嬢である白蓮の娘のお辞儀がほぼ韓国式だった! 両手をへそのちょっと下においていたから、演出者が躊躇したのかもしれない。それにしても・・・である。   数日前のJR王寺駅。 『Big Issue』を売るホームレスのおっちゃんに挨拶をするまでは気分はいいが、改札を通るときにちょい鬱に転じる。理由はJR女子職員のお辞儀スタイルだ。 先日、見るに見かねて行動に出た。 「あなた、そのお辞儀、どこかで教わったの?」 「はい、研修で」 「その研修、誤りですよ」 「はぁ?」 「日本人のお辞儀スタイルは、腹の上に両手を置くのではなくて、自然に手を下げたところで、両手の指を重ねる。腹の上に手を置くのは韓国式、チマチョゴリが膨らまないようにするためのものです。NHKのアナウンサーもあなたのような誤ったお辞儀をしている人がいるが、正しい日本のお辞儀ではありません。 ほら、ちゃんとやってごらんなさい」 それでも、肘を突き出したお辞儀をしよるから、腕をおさえて形をつくってやった。 「肘を突き出すのは、日本では配慮に欠けた無礼者です。はい、正しくやってみなさい」 その女子職員は一応私の指示どおりにした。 「他の職員にもちゃんと教えておきなさいね」   その日の帰り、改札口で元気よく「ありがとうございました」と客に声をかける女子職員は、肘を突き出し腹に両手をおいていた。

堺泉北港堺2区基幹的広域防災拠点
「そのとき」をリアルに想像しよう

2014 年 8 月 11 日

フォークリフト、玉掛け、バックホウ(小型車両系建設機械)、固定式クレーン(5t未満)、小型移動式クレーン(同)、陸上特殊無線技士(3級)免許――山田昭光国土交通省近畿圏臨海防災センター長がここに赴任してから取得した免許や技能だ。

同センター職員は「キーボードから重機レバーに持ち替え」なければ務まらない。

 

基幹的広域防災拠点の機能は下記の5つだ。

●救援物資の中継・分配機能

●広域支援部隊等の集結地・ベースキャンプ機能

●応急復旧用資機材の備蓄機能

●海上輸送支援機能

●災害医療支援機能

 

つまり、京阪神の災害支援の人とモノのハブだ。だから、広い。面積は「海とのふれあい広場」を含めた27.9ヘクタール。災害対応では何もない広場が有効なのは東日本大震災や様々な災害で明らか。ここは大災害時、救援の人と物資の中継拠点だから、なーーんにもない広い緑地こそふさわしい。埋め立て地ゆえ地盤に不安はあるが、敷板で補完するという。ヘリポートは7基駐められる広さだ。

建物は小ぶり(?)の支援施設棟と車庫、テント製の資材庫などがあるだけ。

支援施設棟は3階建てで、一日約5000人分の飲料をまかなえる海水淡水化装置、自家発電機と10日から1カ月程度の電力供給ができる9950リットルの重油、投光器70台を持ち、仮眠室もある。連絡調整会議の場となる会議室は至ってシンプルで、ライブ映像を映し出す3台のモニターがあるのみ。指揮系統は内閣府の緊急災害現地対策本部(大阪合同庁舎第4号館)のラインだ。建物はTP7.1メートル(OP5.8)までの浸水に耐える。7.1メートルのうち1.5メートルを担う止水板は、東日本大震災を受けて追加した。「想定外を想定(=無くすため)した」とのこと。

支援棟屋上から西を見る

支援棟屋上から西を見る

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大型テント倉庫と車庫には建機と支援物資が並ぶ。バックホウ1台、フォークリフト2台、土等を締固める振動コンパクタ2台、牽引式運搬車1台、点検用車両1台。敷鉄板48枚、23キロの軽量敷板約3000枚、パレット2700個、大型テント2張、ヘリポート用夜間照明一式。基幹的広域防災拠点の機能を発揮するには、職員がこれらを稼働させる技能を磨いておかねばならない。で、冒頭の免許や技能が必要となる。

 

さて、この拠点が稼働するのは震度6強以上で大津波警報が発令されたときだ。

そのとき、近畿地方整備局の港湾空港部職員のうち災害対策チーム70人がここに集結する。使命は24時間以内に機能させること。海上からの応援を受入れるのは、23年に整備された耐震強化岸壁だ。水深7.5メートル延長130メートル、5000トン(DWT)級船舶――海上保安庁の「せっつ」クラスに対応する。発災時は大量の海上浮遊物が発生するからちょっと心許ない規模だが、平常時にUSJ前の定期観光船発着場となっている浮体式防災基地も指令後約4~5時間(海上浮遊物などの障害物なしで算出)でここに曳航され、1000トン(DWT)級以下の小型貨物や人員輸送船の桟橋となって補完かる。わんさかやってくる自衛隊等の支援部隊などがここにベースキャンプをおく。支援物資3000トンの中継・分配拠点として荷さばきし、被災府県に送る。

 

ここでは、「津波防災の日」と定められた11月5日を基本に、センターが開設された24年から毎年、自衛隊、警察、海保等関係や建設業等、堺市や地元中学校、市民ら1000人以上が参加して大規模な合同訓練を実施している。

想定災害は南海トラフ巨大地震。火災消火や倒壊家屋からの救助、被害者の搬送、海上での救助、津波避難ビルへの避難、バイクによる災害情報収集、陸・海・空の手段を使った物資の搬入など、想定される多様な災害対応メニューを訓練する。24年の訓練を見たが、同時に多様な訓練があちこちで行われるので、地上からでは一端しか見ることはできなかった。

25年の合同訓練では防災啓発も視野に入れ、訓練終了後にヘリコプターやレスキュー機材、海上自衛隊掃海艇等の展示・見学や、日本赤十字社の救命講習等の体験学習なども行った。たんに見学ではなく「動いて」「覚えて」という体験型の防災訓練として継続していくという。

 

東日本大震災では、遠野市が自らの役割として想定したとおり、後方支援拠点の機能を果たしたし、道の駅やSAも応援物資やボランティアなど人と物の中継拠点として機能した。

この堺泉北港堺2区基幹的広域防災拠点がゼロ次拠点となり、府県や市町村などの地域防災拠点から被災地へ無駄なく速やかに応援・支援を届かせるためには、民間企業との連携も視野に入れなければならないし、関わるすべての機関が機能するためのオペレーションも、資材も足りないと、山田センター長。Xデイを考えると課題が尽きないのは、危機管理に欠かせない想像力の所以だ。

 

課題ついでに言うと、このセンターには職員の防災住宅がない。

えっ!危機管理に就く幹部や職員は防災住宅に住むのが、行政の基本のはずだが。かつて、東京都心の一等地に公務員専用住宅があるとメディアが非難したことがあったが、霞ヶ関に徒歩で行けるという条件なのだから都心にならざるを得ない。近畿圏臨海防災センターは堺浜の先っちょで、こちらは極めて交通の利便性が悪い。24時間職員は待機しているというものの、発災すればセンター長は自宅から駆けつけるのに何時間かかるだろう。

 

連動するかどうかは不明だが絶対に発生する南海トラフ地震。「その時」のために国はこうして着々と備えているが、実際のところわれわれはどうだろう。
「そのときは、もうしゃあない」「自分だけやないから、なんとかなる」というのが大方だ。

やはり「その時」を1度でもリアルに想像しておくべきだろう。

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堺泉北港堺2区の基幹的広域防災拠点
「月月火水木金金」

2014 年 7 月 29 日

基幹的広域防災拠点とは、都道府県単独では対応不可能な、広域あるいは甚大な被害に対し、国・地方公共団体が協力して応急復旧活動を行う防災活動の拠点。東京湾臨海部(有明と東扇島地区で1セット)に次いで、平成24年4月、国交省近畿地方整備局が大阪湾堺泉北港に整備した。

先日、堺泉北港の基幹的広域防災拠点を見学した。

場所は「堺浜」とネーミングされた埋め立て地の先端部。

この埋め立て地は、八幡製鐵堺製鉄所が1962年に操業を開始し、65年に高炉による銑鋼一貫体制を確立したところだ。高度経済成長時、同社は高炉スラグや航路浚渫土などを埋め立てて、製鉄所用地を拡張したものの、1980年代には製鉄事業を再編して設備を縮小、1990年には高炉を休止し、大形工場に特化した。内陸寄りでは現在も同社(1970年に新日本製鐵、2012年に新日鐵住金)の堺製鐵所として形鋼を生産している。

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こうして、埋め立てた未利用地と製銑・製鋼設備跡地の233haと、製鉄所へのコークス供給を担っていた大阪ガスのコークス工場も遊休化となり、甲子園球場の約70倍277haの広大な土地が残った。

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大阪府、堺市、大阪ガス等による「堺北エリア開発整備協議会」で土地活用を協議し、まずこの地を人々に知ってもらうことが肝要と、2000年に先端部に「海とのふれあい広場」約16ヘクタールをオープンさせ、ネーミングを公募して「堺浜」とした。実はこのときのイベントをアニマでお手伝いしている(花の苗で堺浜と表示するお花エリアを来場者につくってもらった)。2002年に都市再生特別措置法の「都市再生緊急整備地域」に指定され、商業施設を誘致できる地区計画を6カ月以内という短期間で承認可能となり、商業施設や企業の物流拠点が進出している。シャープ堺工場も2010年に操業を開始した。進出決定当時、尼崎の松下電器液晶工場とあわせて“パネルベイ”ともてはやされた工場はいまや両社のお荷物・・・マスコミの変わり身を象徴するようだ。

さて、基幹的広域防災拠点は「海とのふれあい広場」を含めた27.9ヘクタールの緑地と近畿圏臨海防災センター、耐震強化岸壁、臨港道路で構成されている。臨港道路は、昨年12月に開通した阪神高速湾岸線三宝ジャンクションからの3.5キロメートル。堺方面からの幹線道路(築港天美線)の延長で、この人工島の幹線道路だ。将来は阪高大和川線とも直結する。

堺駅からバスに乗って「匠町」で下車。このバス停はシャープ工場の正門の前だ。

バス停から近畿圏臨海防災センターまでは1.8キロ。山田昭光センター長はバス停から自転車で走っているという。もちろん防災の拠点だから「月月火水木金金」で稼働、365日24時間無人のときはない。センター職員はたった4人なので、近畿地整局港湾空港部職員約90人が交代で夜間・祝祭日勤務している。正月の勤務はやはり、センター長の仕事。山田センター長はすでに2回ここで新年を迎えている。